焼けただれた被爆者の写真を見るとき、僕は1919年に朝鮮の町の教会に押し込められ、日本軍によって生きながら焼かれた3.1独立運動参加者の人びとの体も、やはり焼けただれていたのだ、と考えてしまう。戦後も長く苦しまれた人たちの写真から連想するのは、中国で日本軍の化学兵器の後遺症に苦しんだ人たちの姿だ。
もちろん、それらの犠牲はすべて侵略や戦争という愚行の結果であり、それに「正義か、悪か」という判断基準を持ち込むのは愚かなことだ。原爆の被害を展示する資料館に、日本軍の蛮行はもちろん、日本による植民地支配の歴史の展示を求めることも、おそらくは過大な要求なのだろう。
それでも、僕は思う。犠牲を慰めるというなら、韓国・朝鮮の人々、とりわけ亡くなった人たちのご遺族の思いをほぼ完全に無視してしまうようなこの展示は、その目的を充分に果たしていると言えるのだろうか。そしてまた、この展示が「日本人による、日本人のための、日本人の神話」をナルシシスティックに構築する効果を持つ、ということをどう考えるのか。
3年ほど前に広島に行った時の感想文、転載します。
いくらなんでもやっぱり少なすぎる、と改めて思った。というのは、昨日訪問した広島の平和記念資料館における朝鮮・韓国人被爆者の扱いのことだ。男性一人の紹介しかない。
もちろん、平和記念資料館はすべての被爆者を紹介することを目的とする施設ではない。そこでなされているのは原爆の被害を訴え、伝承し、被害者と遺族の魂を慰めることだ。すべての人、すべてのケースが紹介できないのは自明のことだし、またその必要もない。
とはいえ、全体で約56万人と推定される広島での被爆者のうち約5万人が韓国・朝鮮人、という現実と対比したとき、膨大な数が紹介される日本人被爆者に対して、「外国人の被害」として米国人、ドイツ人と並べて一人だけ、というのは扱いが小さすぎる。ご本人の渡航の経緯や創氏改名の経緯などは書かれているものの、植民地支配や差別についての言及は大変少ない。
また、韓国・朝鮮人被爆者にとっての悲願であった被爆者手帳の問題は別のコーナーにおいやられ、しかも「海外に移住した日本人や外国人の被爆者…」という、問題の焦点が伝わりにくい表現で紹介されている。
これが、国民に「自助」を求める政府だよ。自分たちがすべきことを全うせず、やむを得ず動いた市民の善意にただ乗りする。 / “国立科学博物館 クラファン開始1日余で3億円超に | NHK” https://htn.to/4c4sNtXmcZ
“地獄”を生きた104歳の元兵士 今も抱える怒りとは | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230801/k00/00m/040/168000c
原爆そのものはもちろん大量殺戮兵器であって許されるものではないけど、日本という国が何もかも失敗したせいでおびただしい数の市民が死んで苦しんだというところがすっぽ抜けてるのはこわい
ほんまにひどいな…
他の事もそうなんやけど、教えないことで歴史を改竄しようとしている。
小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1685009.html
「文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で、沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかった。いずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ。」
誰に何に惹かれ欲求を持つことは加害や犯罪にならない。そもそも特定の属性を加害や犯罪に繋げることこそ差別だよ。
松野博一官房長官は7日の記者会見で、国連人権理事会の作業部会がジャニーズ事務所の性加害問題を告発している被害者を日本政府が主体的に救済するよう求めた声明を巡り「法的拘束力を有するものではない」との認識を示した。
感想:ん? 救済したくないということ?
補足:今回調査団が訪れた国連の「ビジネスと人権」は、ソフトローの考え方。法的拘束力はもともとない。
彼らは企業・政府が果たすべき責任を、事実を踏まえ倫理的な基準で指摘する。指摘にちゃんと向き合わない態度は、国際社会から「ならず者」と見なされても仕方ありません。
ミニシアターも博物館も(同列には語れないけどどちらもクラファンを始めてるのを見たので)何もかも予算がつかないし、クラファンしないとやっていけないというの、むかつく
そもそも金がないと何もかもがやっていけなくなるのも嫌(文化はもちろんだが、生きること自体も金銭的な価値付けやその個体がいかに経済的な利益に貢献するか、しうるかによって測られる感覚が本当気持ち悪い)だし、そういう社会を追認しておきながら、その富を肥やす奴らが憎いし、許せない
この国は一体どうなっているのか。万博なんてやっている場合か。
国立科学博物館 資金が危機的 1億円クラウドファンディングへ | NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230807/k10014155491000.html
入管法改悪のスピーチで高橋一さんが
『いま僕は37歳で、両親も日本人で、結婚して子どももいる。要するに超一般的な、特権性を持つマジョリティー男性なんですけど、こういう僕みたいな人間に責任があると思ってます』と語ったこと、
#D4P でも特集やってくれたし、朝日新聞にもでかでかと載ったのは嬉しかった。(朝日なんで成立してから記事にすんだよ遅いよ!とは思ったが。)
『この国では、黙ったままでいると、レイシストの片棒を担がされる』
そういうマジョリティの気づきを言葉にしてくれた。無関心は加害になりうるというのはこの事で、マジョリティからマジョリティへ、当事者性を呼びかけている所にこのスピーチの力強さはあった。
あるミュージシャンのスピーチ 入管法改正、強い後悔と「次の朝」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR6Y513GR6PPTIL016.html
「無関心は加害と同じ」はいくつかある説得法・論法・戦法の一つだと私は思います。
ひとに政治参加をうながしたい時に、相手によってはそういう言い方が響くよってだけで、本来は相手を責める・糾弾するための言葉ではない。
北丸雄二さん(『愛と差別と友情とLGBTQ+』の著者)が言ってくださったこと、
「疲れたら後ろに下がって少し休めばいい、きっとそれまで休んでた仲間が前に出て行くから」
この言葉が私は好き。
(またそんな風にして戦わないと無理なわけでしょ? 上記の本もそのあたり詳しいが、負けたり勝ったりを細かく繰り返しながら本来政治運動は続いていくもので、悲しくてもポキリと折れちゃうとまずい、だから支えあいが欲しい、したたかさが欲しい…)
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。