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様々な差別問題において、「科学」が引き合いに出され、差別の正当化に繋げられるな、と思う。
「○○学的におかしい」とか(学問は実存を否定するものではなく実存を踏まえて更新されていくものでは?)、「非科学的なものは淘汰されるべき」とか。

例えばセクシュアリティに関わる部分も、脳の性分化だとか脳のどこどこの働きが原因だとか…色々とあるようで、それを根拠に「LGBTQ+はおかしくない、思い込みではない」と主張する当事者もいる。それ自体を批判するものではないが「『科学的』に『正しい』から尊重されるべき」みたいな主張にはならないように気を付けたい。「『(現在明らかになっている)科学』で証明できないセクシュアリティは、当事者は『偽物』だ」という考えに繋がったら?そのアイデンティティが「本物」かどうか、「診断」されて決めつけられるような未来が来たら?

そもそも我々の在り方、行いはいつも「科学的」でなければならないのか?我々のアイデンティティは「科学的」かどうかで優劣をつけられなければいけないのか?
常に100%「科学的」な在り方なんてあるんだろうか。上手く言えないけど、そういうのも流動的なものな気がする。
我々は「科学」で証明されるために存在しているのではない。

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