マジョリティ側からマイノリティ側内部への批判、指摘が暴力性を持つのは当然で(批判を装った差別は論外)、でもそこに今現在侵害を受けて苦しんでいる者がいるなら、一刻も早く、誰でも良いから気付いたものから問題提起していかなきゃ、という焦りもある。
でもマジョリティ側からの問題提起って「これだから○○(マイノリティ属性)は」みたいな差別に繋がりがちで、当事者よりその背景への知識も足りないから「土足で踏み荒らす(健常者中心主義な言葉。良い代替語が分からなかった)」ことになる。

最近だとTGJPのメンバーが性加害を行い団体が不適切な対応を取った件や、TRPのピンクウォッシュなんかは、マジョリティ側から批判を受けるのもコミュニティが分断されるのも苦しいし「マイノリティ側にばかり清廉潔白を求めるな」「今自浄しようとしてるんだからお前らの対応にまで労力使わせるな。放っといてくれ」と思う一方で、批判が起きることそのものは妥当だと思っている。
何というか、批判を批判以上のものにはしてはいけない。早く気付いた者が早く問題提起するに越したことはないと思うけど、自分の立場や、どこから意見してるのかを考えるべきだし、マジョリティ側は「弁え」を忘れてはいけない。マジョリティ側が問題解決をしようとしてはいけない。

マイノリティ側から声が上がっているにも関わらずマジョリティ側からいつまでも「批判」が続き、マジョリティ側が軽率に騒ぎ立てるのは、マジョリティ側がマイノリティ側に乱入して問題解決「してあげよう」としているようにしか感じられない。マイノリティ側の主体性を揉み消し、その者たちにとって大切なものをいとも簡単に奪う力がマジョリティ側にはある。

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