子宮移植技術の実用化とそれに伴う議論のグロテスクさが話題になっているが、私は子宮頸がん検診の際によく「子宮も卵巣も綺麗ですね」と言われて(褒められて?)おり、そんな綺麗な子宮や卵巣を使わずに終わるのはもったいないものだと思っていた。
私には多嚢胞性卵巣症候群疑惑があり、そもそも初潮からずっと生理不順だったので、もとより自分がスムーズに妊娠するなどとは思ってもおらず、結婚の予定もない頃から不妊治療の講演会やら特別養子縁組の支援団体の講演会やらに足を運んでいたのであった(ちなみに特別養子縁組は、その制度全体から漂うきわめて保守的な家族観がまるで合わなかった)。今回妊娠してみると、やはり自分の体内(胎内)で自分とは別の生物が育つというのは、負担とともに発見も多いもので、これは確かに妊娠を体験しなければわからなかったものなのだろうと思う。なにより、「セックスは生物学的/ジェンダーは社会的・文化的性差」などという二元論はお門違いだと知ることができたのは大きい。
というわけで、子宮を移植してでも自らの体内で子どもを育てて産みたいと願う人々がいる、ということ自体はとてもよくわかる気はする。