ポリタスTVに関する話(長くなったので閉じる)
今日の「ポリタスTV」の「深澤ゼミ #15 前編 セクシー田中さん問題を考える」、流し見した印象では、「セクシー田中さん問題を考える」が主題ではなく「深澤ゼミ」が趣旨なのだな、という感想。
当該事象を深掘りすることが先にあって、その論者として深澤氏が選ばれたのではなく、深澤氏の「ゼミ」という企画がまずあり、そこでのテーマに当該問題が採用されたと。
深澤氏、ゴールデンラジオで当該問題について言及したというし、冒頭に津田氏が「この問題については論点が山ほどあって……」みたいな話をしていたから、論点をきちんと整理して深掘りするのかと思いきや、そうではなく、メディアにいろいろな関わり方をしてきた深澤氏から見た解釈というか受け止め方が語られているという印象だった。
最後に深澤氏本人も「編集者視点というよりマンガ読みの視点で語った部分が多かった」と振り返っているけど、それは個人的にはどちらでもいいのだけど、なんというか散漫だった。
「深澤ゼミ」として「マンガ」について語るというなら別にいい。でも、「セクシー田中さん問題を考える」という標題をつけておいてこれというのは、私は不誠実だと思った。それは深澤氏の非ではなく、番組側の非とすべきかもしれないが。
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金曜日の報道読み解き企画が顕著な例だけど、津田氏も青木氏・浜田氏もよく知っている分野もあればそうでもない分野もあって、そうでもない分野については聞きかじったことや思い込みや漠然とした印象で語ったりもされている。青木氏がしつこいぐらい「僕はよく知らないんだけど」と前置きするのは、免責のようにも聞こえるが、「よく知らない立場での語りである」ということを明示しているだけ誠実ととらえることもできる(最終的にその語りをどう評価すべきかは内容にもよるけど)。
それが「浅い」で済めばまだいいが、誤った語りであれば社会に対しよくない影響を及ぼすことになる。
生活保護に関する語りしかり、トランスヘイト本に関する語りしかり。
そして、そうしたことが起こったとき、Twitterなどで指摘があるわけだが、その指摘が「建設的」な議論になることは残念ながら今のところ見たことはない。
そういう要素も(結果として)はらんでいる番組になっている。
日本におけるマスメディアがサボっているなかで、この番組は良質な報道「も」担っている、いるが、危うい。
その危うさは、ポリタスTVが津田氏という個人の番組だというところに拠っているがゆえのだなという、そんなようなことを改めて思ったのだった。
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ポリタスTVに関する話を「津田さんに対する期待が高すぎ」と評する方もいて、実際以前は私自身も津田氏という個人に対する期待値を高くもちすぎていた。
それを意識してからは、できるだけ個人と番組を分けて、番組「を」見るようにしている。
実際、複数人のMC制になって以来、ポリタスTVという番組は以前とは異なる性質をもつようになっているし。
あと、見たもので「これはよくないよ」と思うものがあったら、期待しているかどうかにかかわらずなるべく言いたいとは思う。
さらにその「よくない」の社会に及ぼす(マイナスの)影響が大きいと思えば、それは言うし言ってほしいと思う。
「この番組は言ってもしょうがねえな」と思えば言わないだろうけど(例えばハナダとかウィルとかに対して何かを言おうとは思えないように)。
複数人MC制のポリタスTVは、「ちゃんと調べてちゃんと報じる」回が増えることに直結すると思うし、とてもいいと思っているし応援したいとは思っている。
けど他方で、件のヘイト本のような語りもなされてしまう番組だという、そこにはやっぱりいつもわだかまりがあって、私自身の番組への接し方はやっぱりちょっと変わってしまったという自覚はある。