『不適切にもほどがある!』について
『不適切にもほどがある!』、「こうこうこういう趣旨で1986年の人間が不適切な発言する作品なので」的な字幕が出ているけど、第4話で“不適切”な発言してるの2023年の人間じゃんか。しかも子どもに。不適切どころじゃない発言を。なんだあれ。
ここまでも考えてたことだけど、たとえここからどんでん返しに入っていくのだとしても、各話ではひとを物理的・精神的に踏みつける表現を(件の字幕を出すのみで)そのままにしているわけで、それがひっくり返るのだという伏線すらしいてもいないわけで、ひとを踏みつけて憚らないことを(踏みつける側のみが)よしとしていた価値観に今でも執着しているひとを強化するだけなのでは?
いや、「執着するひと」はちょっと違うか。「昔はよかった」と言っていられるひと(「ポリコレ棒」みたいな雑な言葉をぶんまわしているひと)を楽しませるだけなのでは、か。
不適切さの答え合わせのために見ているみたいな気分になるぐらいなら、私は『殺人者のパラドックス』2周目を見たほうがいい
他方で、私が都合の悪いところをスルーしていたり、気づくための材料を持ち合わせていなかったために見逃していたことも、当然にいろいろあるのだろうな……ということも同時に思っている。
上川多実さんがツイートされていたけど、『監獄のお姫さま』で「逆差別」という言葉を批判的ではなく使ったというのは、私は全然見逃していた。全話は一通り見ていたはずだから、私がそこにひっかかれてなかったってこと。2017年放送のドラマ。
だから、鈴木みのりさんの〈「宮藤さんと磯山さんにはずっと期待してたのに裏切られてひどい!」というナイーブな意味でなく、視聴者としてこういう作りを許容し、広めてきた自分への反省含めての投稿かつ、提案だし〉というツイートにもはっとする。
これは「ダウンタウンの『お笑い』を享受してきた者である私」にも共通するものがある。私は、少なくとも20世紀が終わるちょい前ぐらいまでは、あの「笑い」を楽しんでしまっていたので。
自分の消費がどういう社会をつくってしまうかという、言葉にするとピンとこないかもしれないようなことが、本当に実感として手元にある。
ていうか先週の『光る君へ』も、今日の『お別れホスピタル』もまだ見てない