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『関心領域』観た

アウシュビッツ収容所にまさに隣接する家、そこに住む家族の平穏な生活を観察することで浮かび上がる、人間の無関心のありさま。

開けた良い環境で、穏やかで手入れされた暮らし、そこでの会話に、音に(収容所の稼働音が四六時中しているのが絶妙におぞましい…!)、日用品に、その生活環境すべてに明確には見えなくとも確実に感じ取れる迫害の気配。それでも、半径数メートルしか関心がないかのように穏やかに生きる人間を見て、寒々しいなと傍観している観客にその無関心の結果がグイっと迫ってくる演出。

想像力が働けば無関心ではいられないはず、といったことも耳にするが、それはちょっと正しくなくて、人間とは想像した上で無関心でいられるものだと思う。この映画では、妻たちがユダヤ人の服飾や家財を選ぶ場面や、夫が祝賀パーティーで考えていた事などに彼らが十分ユダヤ人の状況を想像できていたことがわかる。だからこそのおぞましさ。
ただ、我々はこのように想像を乗り越えて無関心でいられるからこそ、日々の不安に押しつぶされずに暮らしていける。これは人間に必要なことではあるが、しかし、無関心の力に甘んじてはいけないこともあると、今こそ、何度でも顧みるべきと訴えてくる映画に思えた。

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