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『落下の解剖学』観た 

転落死した男の妻が殺害容疑で裁判となる。裁判は「妥当と思われる真実」を決めるものであり、このように人間の真実は「解釈」によるのだ…、という新鮮味があるわけではない話ではある。
が、面白いと思ったのは、予想以上に法廷劇で、特に「夫婦関係は第三者が完全に理解できるものではない」ということを粘り強く見せていたこと。また、尋問の中で、多国籍社会、性別役割が自由になってきた社会であってもまだ存在する難しさがあると描いていたところ。よくあることだが、観ている側の心証が揺らぐ、自身の偏見に気付く。個人的に法廷劇に求めるものの一つなので大変面白かった。
のと同時に、この尋問が息子の前で開かれていることに胸が締め付けられる思いがした。親のグレーな部分が露わになるのを知るなんて。しかし次第に鍵となるのはこの視覚障害の息子であると見えてくる。撮影の仕方でもそれがわかる。判断がつきにくい中で解釈を「決心」しなければならない。我々も本質的には他者を解釈しかできない以上、決心して生きている。そう考えると、息子は我々を表してもいたりするのかも、しれない?そしてこの作品自体も、皆さん「決心」してくださいという様な幕引きだなと感じた。

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