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首劇場公開最終日にもう一回見に行きたい気分がある 今日で終わりか〜〜!をやりたい

やっぱり走らされて神輿に担がれてゲロ吐いてる秀吉、かなり良いんだよな〜〜 神輿から落ちて溺れることを望まれてるのも、その前に穴が開くほど切腹を見たがっていたのも 大返しのマラソン大会パートが好き

(暴力表現が含まれる映画ではあるが)ただ年の瀬にふらっと見ても良いような軽さ・ドライさも『首』の持ち味で、滑稽さとレンズの距離が本当〜にうまくて……でもそうしたものの皮膚の内側に通っている(と読めたもの)も私は良いなと思っていて

笑いとホラーと手品は種明かしをしたら興醒めというのがあって、構造分解が不粋というか「面白くないもの」にさせてしまうということを『首』で考えてしまった。構造をとらえるというのはあくまで見方の一つであってこの角度からしか見ないわけでもないが…枝葉だけど根っこの話であり、根っこの話をするからと言って枝葉を無視しているわけでもなくて…その塩梅を割と考えている

サライ流してるのも連想に一躍買ってる気がするな 「何のために走るのか」でメロスの目的ははっきりしてるけど秀吉は何が何だかわからないまま走らされてるから “走らされてること”がまたホモソーシャル的な連帯の何に駆り立てられているのか、といった見かたもきっと出来なくなくはないような…

メロスはむしろ王様がセリヌンティウスとメロスの友情を羨ましく思うけど、首は光秀が村重への情愛を裏切るよねって連想もあったかもしれない。やっぱり秀吉ってあらゆる関係性から顧みられない存在だなあ…と思う

『走れメロス』のメロスは王様の邪智暴虐さを解さなかったし政治がわからない正義の男だったけど『首』の羽柴秀吉は信長を解さなくて政治がわからなくても「首(天下統一の座)」は羨ましくて欲しがるんだよな 「わからなさ」の違いとして引いた話

やっぱり首を蹴飛ばした秀吉=情人を蹴飛ばした明智でセットじゃない?と思うな

ふせったーは文をまとめる発想が抜け落ちた文章しか打てない…

140字になれきってこういう感想文すら書かなくなってしまったけど来年はまとまった文書けたらいいな〜

首、事前にチケット取っていて良かった

細部に手が行き届いている完璧だって巧拙や是非の話ではないんだよな どんな視点を持って物語ろうとしているのかの話

オズやフィガロが、あるいは北の国が「こちら側」であることの機微で オーエンがカインに行ったことを(カインが望むままに)棚上げはしても「仕方がなかった」と言う人は5年目を迎えて誰一人としていないことの機微が自分の性に合う

許容は意図するものから離れるし受容という言葉も十分ではなくて、失敗や過ちは起こり得るものとしてただそこにあること、失敗や過ちを犯した主体にはその先にも時間が広がっていて、それは隔絶されたものではなく、時に(否応なしに)交わらざるを得ないものとして存在しつづけること、あたりの手ざわりが

まほやくが失敗を受容(許容、ではない)する物語の作り方をしていてよかったな、と思う 私が大事にしたいと思うのはそういう物語だから

言葉の拾われなさに無責任なこと言いそうになる 嘘です

スレッズとエックスが黒アイコンでFedibirdみるのに使ってるアプリも黒アイコンだからかなり紛らわしい

Blueskyアイコンがデフォルメされた🦋になったからユーザー増えそう

こういった話を私は文章読解の枠組みの中でやりたいが(批評という分野でしばしばおこなわれてきたものでもありますが)まあ結構わがままなお願いだから拡散性いらないし、話せなくて困るものでもないっていう

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