気持ちの言語化
自分は責められるべきとか、逃げずに直視しろとか、過ちを背負って生きようとか、そういうのじゃなくて、自分の人格を否定せずに誤った行動と拙かった価値観を受けとめられるようになりつつある。
もっと早く培えればと思うが、いいもわるいも、あらゆる機会から逃避し続けているのが今日までの自分ゆえ、こういった道を辿らなければ気づくことすら無かっただろう。
いましかなかった。
わるい部分に気づかなければ培えなかった話なので、自分は馬鹿とか責めてしまうのは過ちから目を逸らしてるのと同義だ。
ただ、ひとを泣かせ事実と、ひとを疲れ切らせた事実を「自分に必要だった」などと転換するのだけは絶対にあってはならない。
今はそう言葉にしてるが、言語化で改ざん・転換を繰り返してきたのが自分。
自分自身すら欺いてきた技法を身につけてしまったのが自分なので、「心を入れ替えました。もうずっと前向き」などと突然の改心は絶対にあり得ないし、常に自分を疑う気持ちと己の人格を否定しないバランスをこぼれ落とさぬようがんばる。