引用
『だからこそ、本件について私にまだ書けることがあるとすれば、それはこれまで帝国が用いてきた、またあらゆる未来の帝国が武器化しうる記憶の上書きについての手法を分析し、未来の批評的土壌を作るということなのではないかと思う。
 上記の議論で示したとおり、植民地を理想化して描く風景画(*29)や、植民者の称揚としての肖像画・彫像などに見られるように、植民地支配やインペリアル・アートの本質の一端が、「歴史」という名の下における別の共同体の記憶の忘却・ナラティブの上書きに宿るとしたら。そして、視覚文化そのものが、その戦略の構築に大きな役割を担ってきたとしたなら(*30)。
 一連の抗議は、バルフォアの肖像といった描かれた記号だけに向けられたものではなく、帝国の視覚政治(ヴィジュアル・ポリティクス)そのもの、そしてそれに伴う記憶の上書き行為や、人々と環境の間に形成される「親密さ」・もしくは相互補完関係の、恣意的な排除に向けられたものだと理解することができる。』

tokyoartbeat.com/articles/-/pa

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引用2
『絵画を守ることが重要なのであれば、いま我々にできることは、そうした帝国主義と芸術のつながりについて誰よりも批判的になることではないだろうか。
 帝国主義が芸術を利用する手法について学び、他方にある失われた記憶を知り、そしてそれを「知る」ということの限界を理解し、それでも向こう側を想像しようと苦戦することではないか。
 帝国のナラティブを別の単純化されたナラティブで置き換えるのではなく、複雑さを複雑さとして受け止め、そこに表出しない共同体の存在に耳を傾けること。失望する前に、できることはまだ沢山あると信じている。』

tokyoartbeat.com/articles/-/pa

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