情報輸入業と宗教法人とものかき。だいたいは思考的な未検閲状態で、思いつきを書いています。
マッカーシーとか読んでても思うけど、俺は「この世界は残酷で人間に無慈悲だしそもそも無関心なんだよ」って言われると喜んじゃうんだよね、親の流した血で遊ぶ赤子みたいな
いまは勝ち負けや序列、他者の評価を意識すいがちなゲームより、無心に何かをするだけのことをやりたいな。誰とも比較しない、自分ができるようになったことだけを評価する、みたいなやつ。
きょうは弟やその友人たちとMtGをして遊んだ。いやー面白かった。
最近(約350年前)
大学時代の友人3人がやってるVTuber配信を見ている。リスナーに「近況は?」と尋ねると、コメント欄でスピノザが「最近は『エチカ』を上梓しました」と言っていて爆笑した
「生きててえらい」でええんや。
一番大事なのは認知の歪みの修正だな〜
カッコつきで書く「定型発達」でも、「ふつうの成長」でもいいんだけど、自分はいま児童期から青年期までのあいだに失ったことやできなかったことを、いろいろやり直してる感じがするな
じぶんの場合、自己啓発に対して回避が働くのは、現在の自分の世界の見方や解釈の仕方、物語etcを保持しておきたいからなんだと思う。そして自己啓発的なものや物語の与え方が楽観的すぎるとか、客観的でないとかという批判を加えようとする。実際それはそうなんだが、そのせいでむちゃくちゃ生きづらくなってたらどうしようもなくないか。
別に我慢することや辛いことをやらないことがえらいわけじゃないんだけど、それ自体が価値になると危険。
我慢して辛いことをしているとえらい、という思考回路は素朴におかしい。んなわけあるか。
長いこと自己啓発とかこういう精神分析めいた作業をバカにしてたというか、メタ的にフンッって思ってたけど、必要なんだな。
グリーフワークやってたらふつうに泣いてしまった。あんな駄目になってしまったとしても、幼少期から父親のことほんとに好きだったんだなー。じぶんはそれを封印していたし、調停もつけられなかったんだろう
明日からはポモドーロ数に基づいて仕事するぞ〜
今も元気に教員をやっているらしい。よかった。
未だにいじめられていた経験は夢に見る。12年続いたらそりゃあね。小5と6のときの滝沢先生が実質的な"父親"としてパワフルだったおかげで助かった
いやあ、よく生きてきたよ。マジで。
たぶん原因は将来に対する不安。
歳を取ってきて、どういうわけか「仕事はまあテキトーでよく、他人を適当に働かせておこう」「自分は趣味や楽しいことをしていればいいや」という思考になれなくなってきた。なんでかはわからん。だんだんマジにならないといけないという気持ちが強まってきた。
ゲームと小説とインターネットがあったから中学の時に死ななくて済んだ。
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