#Colabo 6/6
実際に、Colabo攻撃を扇動してきた人物が先日トクリュウとみられるとして逮捕されましたが、トクリュウは、性売買へ女性を斡旋するスカウトグループもやっています。
Colaboとつながる女性たちにとっては身近な存在です。
スカウトは違法行為ですが毎晩新宿だけで100-200人のスカウトが出て、女性たちに声をかけています。警察は「ナンパ」との違いがわからないなどとして、放置しています。やる気がないのです。
少女たちを性売買に追いやり、誘導する社会の構造を変えていくために、地道に活動を続け、理解者を増やしていかねばと思っています。
寒さも強まり、年末に向けて、少女たちの生活はますます厳しくなっていきます。
年末年始は役所は閉まりますが、Colaboは毎年少女たちと過ごしています。
女の子の子どもなど、小さい子どもたちも年々増えていて、子どもたちへのプレゼントや、子どもたちとの調理道具、成人式のための物品などのご寄付もいただいています。ありがとうございます。
年末は毎年恒例のおせちと、カニ鍋もやります。
それを楽しみに帰ってくる子たちもいます。
…
#Colabo 5/n
性売買に関わる少女や女性たちには、虐待から逃れるために家を出て、性搾取の被害に遭ってきた人が多くいますが、これだけ性売買が当たり前になると、そうした事情のない女性もかなり取り込まれるようになっていて、貧困も深刻なため、大学に通っていたり、会社員として働いている女性が性売買することも増えています。
先日ホストクラブのがさ入れで見つかったマニュアルでは、夜の街に慣れていない、昼の仕事や学生生活をしている女性たちをどのように取り込み、風俗店や売春に斡旋していくかや、「彼氏」になる(ふりをする)ことではめていく手口がまとめられていたと報じられました。
こうした手口は長い間続いてきましたが、特にコロナ禍以降、業者が「一般」の女性を狙う手口は成功し、性売買を一般化することに彼らは成功しています。それによって多くの「一般男性」たちが買春という利益を享受し、その経験を共有しているからこそ、Colaboの活動を目障りに思い、Colaboに対するデマ拡散や妨害も深刻化しているのだと実感しています。
>続く
#Colabo 4/n
業者はかなり堂々としていて、この日の大久保公園では、地方で未成年のたちを集めて売春させる「援デリ」業者の男が少女たちに今日の稼ぎを報告させ、「週末は○○万円目標で頑張ろう!!」と喝を入れる姿もありました。
(※援デリ=援助交際デリバリーの略。「援助交際」という言葉も日本にしかないあまりにもひどい、性搾取の実態を多い隠す言葉です。「援デリ」はもちろん違法です。それでも堂々としています。でも、違法だからだめということではなくて、日本では風俗店等で性売買が事実上の合法化されていること、コンカフェやメイドカフェ等でも女性の性の商品化が当たり前になっていること自体が問題です。)
そして、日本に暮らす男性たちにとっては、買春があまりにも当たり前になっているので、女性たちを「普通」に、同僚や友人と、仕事や学校帰りに買いに来ていますし、この日も16,7歳くらいの少年たちが3人組で女性たちを「見に」来ていました。性売買する女性が見せ物として消費や嘲笑の対象にされています。
>続く
#Colabo 3/n
…
行政や警察は、少女の補導や「売春」(これも女性差別的な言葉です)する女性の逮捕に力を入れており、少女や女性たちを性売買に誘導する搾取の構造に切り込む抜本的な対策を行いません。
女性たちに「売春」させている業者やスカウト、ホスト、メンズコンカフェ、「彼氏」のふりをした男たちや、売春あっせんの場となっているホテルや飲食店、業者やスカウトと提携して女性に整形させることで借金を背負わせ儲けている整形業者等、街ぐるみで性売買によって利益を得ている、その構造の中に権力者たちもいるからです。
日本に来れば女性を気軽に買うことができる、(値段の問題ではなく、いくらであっても女性が買われなくて良い社会にすべきですが)「安く」、しかも合法的に買える(日本では風俗店が合法的に存在する)と、今、世界じゅうから買春者が女性を買い求めに日本に集まってきています。
>続く
#Colabo 2/n
大阪では、『売春目的の客待ち行為「立ちんぼ」が問題となっている』(「立ちんぼ」という言葉も女性差別用語ですが、メディアもこれを普通に使うレベルなのが日本の状況です)として、ホテル街で、地元住民や警察署が連携して道路を目立つ黄色に塗装し、「客待ちしづらくさせる対策」をはじめました。「売春」する女性が目立つのを嫌がって、いなくなることを目的としているとのこと。
新宿・大久保公園の警視庁のポスターにも、「近隣住民、通行人、施設利用者の迷惑になっています!」と書かれており、新宿区も女性たちを「通行人の邪魔になる」として排除をしています。
性売買が「女性に対する人権侵害であること」を問題とするのではなく、女性の責任とし、… 人目につかないところに追いやろうとする対策です。
今の日本では、買春者に対する処罰規定がなく(児童買春は罰せられますが、加害者が捕まることは現実にはほとんどなく、私たちの関わっているケースで、加害者が逮捕されるケースはほぼありません … それでも連日加害の報道がされているのは、それだけ少女買春が頻繁に、日常的に、当たり前に行われている
>続く
https://www.youtube.com/watch?v=2VgExkxyrMk
#Colabo 仁藤夢乃さんの報告、概要から(長文)
… 寒いなか、街には少女や女性たちを狙う買春者と性売買業者が溢れています。
最近、大久保公園に「売春目的で客待ちをする行為は犯罪です」という警視庁の張り紙が貼られるようになりました。あまりにもひどい内容。
女性に対する警告より目出たず小さくですが、一応「買春する行為も犯罪です」とも書かれるようになったのは、市民のみなさんが、女性に責任を押し付けるなと怒り、業者と買春者こそを罰すべきとの声を共にあげ続けて来てくださった成果だとは思います。
行政は男性たちにこそ、「買春は犯罪です」と警告し、性売買せざるを得ない状況にある女性たちがそうしなくても生活できるように支えていくべきです。日本にも買春禁止法、買春者処罰法が必要です。(現在、売春する女性を処罰の対象とする「売春防止法」となっている)
>続く
@fukuyoken3daime
堤は「国保を食い潰す外国人」というありがちなデマヘイトをかまして移住連にボロクソに批判されてます。
https://migrants.jp/news/voice/20190311.html
『男はクズと言ったら性差別になるのか』、UK版の副題は"How to talk about the issues that divide us"(私たちを分断する問題についてどう語るか)で、こっちのほうが回りくどくならず核心をついてると言えるかも。 限界まで切り詰めて言うと、「権力の偏りを無視して、差別について語ると間違える」ということを、性差別や人種差別を中心に様々な事例について語った本。 本書の筋道だった「理屈」や「説明」を、リアルやネットの会話で実際にツールとして役立てるかはともかく、まずそのポイントを共有することが重要な目標になるだろう bsky.app/profile/numa... [参照]
→「男はクズだなんて性差別じゃないか(すべての男がクズではないのだから)」や「黒人の命は大事(Black Lives Matter)というが、すべての人の命が大事ではないのか」という疑問そのものは、突き詰めて考える価値が本来あるはずなんだけど、ほとんどの人は十分に考えることなく、SNSにあふれてる「差別っていうほうが差別だよね」的なふんわり言説とかをなんとなく受け入れて思考をやめてしまう。でもそれは歴史や社会の現実や不平等を無視し、目を背けてラクになることでしかない。 特にクリエイターとか、なんか発信する人はこの本のどれか1章だけでも読んでおいて損ないと思うよ。構造自体はどの問題も似ているしね
『男はクズと言ったら性差別になるのか』、核心は「理屈」と「説明」だと思う。 性差別も人種差別も、「解決」するには過酷で重大すぎる問題に思えるし、たとえば差別に反対する人に対して、「差別って言うほうが差別」「男はクズばかりじゃない」「すべての命が大切」みたいな、ふんわりした一見「良きこと」っぽい言葉にすがってしまいがちだ。しかしそれは、やはり理屈の上ではっきりと間違っていて、問題を解決しないどころか、さらに混迷させてしまう。 そしてここが大事だが、どう間違っているかの「理屈」は実は「説明」が可能であり、我々はそれを理解できる、なぜならそのために人類は、知を積み重ねてきたから…というのが本書の核。
『男はクズと言ったら性差別になるのか』、面白い内容だったが、まぁタイトルだけで怒る人もいるんだろうな、と思いつつamazonレビューを見たら本当に怒ってる人が多かったのだが、まさに「男はクズ」といった「マジョリティに対する"差別"だとマジョリティが認識している言説」の妥当性について突き詰めて考える、というのが本書の大きなテーマなので、実際に本文を読んだのにまだタイトルに怒ってる人が多いのは、むしろ本書の問題提起の正当性を強化しているような…とも思ってしまうのだった。じゃあ『より良い世界のために議論する』だったら読んだのかといわれると個人的にもちょっと苦しいからな
amzn.to/3OZOio5
男はクズと言ったら性差別になるのか
『男はクズと言ったら性差別になるのか』読了。 性差別や人種差別に関する議論は常に荒れるものだが、歴史の流れや物質の構造を説明するように、きっちり筋道立てて思考していくことで、社会の歪んだ部分を変えるための実用ツールとして「役立ち」そうな1冊。 原題は"Arguing for a Better World: How Philosophy Can Help Us Fight for Social Justice"=「より良い世界のために議論する:哲学は社会正義のため戦うのにどう役立つか」なので、日本語版の書名は確かに煽り気味だが、実際このタイトルを引いた第4章が最も明快に本書の趣旨を示してもいる。
この忙しさが終われば連休だ! という声もそりゃあるのだろうが、「この忙しさ」に対して最長9連休というのは、もう、実は足りないんじゃないだろうか。9連休、すごい! じゃないのである。現実この日本で9連休は結構すごいのだが、9日くらいあってようやくめためたに疲れ切った心身を癒す時間になるかもねくらいな気がしてならない。ただの9連休なのではない。めためたに疲れ切ったあとの9連休である。ただの回復期だ。心身を削る年末進行、そして連休、わずらわしい人間関係、その後の年始に溜まった仕事、休みの間の「思い出」を持ち寄らねばならないような空気。ええいいいから仕事をさせてくれ。このスケジュールは果たして健康にいいのだろうか。
エアリパー。
わたしはここにいるよ。she/her
野良の古物商₹˝ャʓ。民芸、古道具、古美術、骨董、面白ければ何でも好き。前世は狸。
自由に発言します。そもそもの性格が微悪です。基本フォロー返しはしておりません。フォローもリムーブもご自由にどうぞ。