鉄道だけではなく、公共団体が障害者に発行しているバスの無料定期券にもおかしなところがあります。
まずは、無くしてしまったら絶対に再発行してもらえないこと。
そして、身体障害者は障害者手帳を見せれば無料でバスに乗れるけれど、精神障害者は障害者手帳ではだめで、必ず無料定期券を見せなければいけないこと。
無料定期券を見せても、障害者手帳の提示を求められるときがあること。
よって、精神障害者は一度無料定期券を無くしてしまった場合、本来は障害者福祉として無料でバスに乗る権利があるにとかかわらず、バス料金を負担しなくてはならないこと。
距離を置いた方がいい家族もいるのに、なんでもかんでも家族で助け合って解決しろって無理やんな。
私も家族と離れて住んでるから、今は自分の精神が安定しているし、家族とも付かず離れずの関係を維持できてるけど、実家に住んでいた時はめちゃくちゃしんどかったし、家族に毎秒殺意を覚えていたな。
「望む人は誰でもひとりで生きられる社会にしろー!」デモがしたい。
これは口を酸っぱくして言い続けていることだけど日本における差別の最大の問題は、差別に対してあまりに寛大過ぎることだと自分は思う。
積極的に差別する人間は比較的少ないかもしれない。一方で差別に対するカウンターや批判はあまりにも少ない。これは体感ではなく学術的にもされている(ソースは今探し中笑)。かつてキング牧師は、普通の人の無関心が最大の悲劇だという趣旨の発言をしていたが、それを日本という社会は体現してしまっている。経験者なので分かるけど、直接加害されるよりも怒ったり抗議したりしてくれる人が少ないほうが絶望や孤独感を感じ易い。また、差別を黙認するという消極的差別な姿勢は当事者意識が極めて欠けているが故に飛び出すものなので、日本に◯◯差別は無いんじゃないかな〜?という態度にも繋がり易く、ある意味では直接的な差別よりたちが悪くなる時さえある。
また過去の裁判所の判決を見れば嫌というほぢ分かるが、差別を差別と認めず「偏見」「嫌悪」などと言い換えている例が非常に多い。日本社会の人権感覚の低さが原因なのか、この国はとにかく差別を差別と認めない。最低限のラインにすら立てていないのだ。人権の話になると「普通の日本人」と絶望的に会話が噛み合わなくなるのはその辺りが原因だろう。
私も一言送っておきました。
以下、送った内容:
国立博物館が1億円のファンディングを国民にお願いしているという報道をこの上なく恥ずかしく思います。
戦闘機F35の1機の価格が11億5000万から14億6000万円くらいだそうですが、1機購入を減らすだけで10倍以上の必要な費用が賄えます。
軍備には糸目をつけず、国民の知識の源や文化的価値には予算を充分に付けず「国立」と名のつく博物館が危機的状況で国民に寄付をお願いするという状況に陥れる政府与党の方針には一切共感するものがありません。
国民の文化的生活を蔑ろにし教育や基礎研究に積極的投資する姿勢が見えない政党は与党として相応しいとは思えず、少しずつでも野党が議席を増やして国民に寄り添う姿勢を崩さない政党に日本の将来を早く託したいと思います。
>トラックの荷台に軍人たちが負傷者を乗せていたとき、幼い少女がトラックに歩み寄り乗り込もうとしていました。
「女、子供は後回しだ」と軍人にどなられた少女は燃えさかる街の方に走り去っていきました。
https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/hiroshima_genbaku/
#戦争反対
#広島原爆の日
>軍人がね、降りてきて、「おい、このトラックに乗れるものは、若い男性だけだ、その他のものは、あとまわし」、大で。だから女性だめで、大人であっても何もはだめ。女はだめ。男であっても年寄りはだめなんだ。戦争へ行ってからね、息切れしたら戦争にならんのだから、だから若い男性のみ、早く助けますと。だから戦争に役立つ人は人間扱いで、ほかの女、子どもとかね、それは、年寄りはものと同じ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130268_00000
アニメや映画等で戦争等の緊急事態が起きた時に軍人や成人男性が「女子供は先に逃げろ」みたいに“弱者“を守る描写が嫌い。
沖縄戦や満州からの引揚で日本軍人が“女子供“を殺したり成人男性が女性を性接待に差し出したり、そういう事が散々起きた国で「男はいざという時、女子供を守る」というナルシズム気持ち悪いなって。
「こうあるべき」という理想のつもりで描いてても、そういう描写を見続けた男性達が「男はいざという時盾になって女子供を守るんだから」と思い込んでそれを男性優位社会の正当化に使っちゃってるんだから害悪しかねえな〜現実(軍隊も男も“女子供“を守らない)をちゃんと描くべきでは?と思っちゃう。
#戦争反対
こっちのリンクなら大丈夫かな
有料記事がプレゼントされました!8月6日 19:25まで全文お読みいただけます
「バービー問題」に潜む原爆ポップカルチャーと被爆国ナショナリズム:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASR846VLNR84UCVL047.html?ptoken=01H72KPD9D85ST0MCDP95NDSR0
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水星の魔女に限らず、日本のエンタメコンテンツにおける同性ロマンス匂わせは「BL/百合愛好者」を釣るのが目的であって、クィアは端から視界にない(見えてないからそもそも釣る気もない)のでクィアベイティングにすらなってないというのが正確なところなんだろうな…(という話を別ジャンルの件で過去の自分がしていたのを発見した)。BL/百合愛好者の中に少なからず当事者がいることを想定していないというか。実際ファンダムの主流は異性愛規範を内面化している層だとは思うけど(悲しいね)
『トランスジェンダー入門』の書評たち
武田砂鉄さん
http://seidoku.shueisha.co.jp/2308/read09.html
江原由美子さん
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/review/23913
桜庭一樹さん
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/review/24019
いわゆる入門書って情報まとめただけでしょ?と思われるかもしれないけれど、すでに書いてもらった書評だけでも三者三様の読み方でとても面白いです。
この本あとちょっとで読み終えそう。「クィア・スタディーズにはめちゃくちゃ興味あるけれど、いざそれに関する本や論文を読むと難しすぎてよく分からない……持病(うつ病)が憎い……」と思っていたわたくしにとっては、ありがたすぎる本だった。対談形式で読みやすいです。でも、LGBT入門本みたいにわかりやすさを重視した内容ではなく、「こうでもない……ああでもない……」と、現実の複雑さを再確認するようなものになっていて、非常に良きです。
慣れろ、おちょくれ、踏み外せ | 書籍 | 朝日出版社
https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255013480/
他でも書いたことなんですが、アニメ「水星の魔女」について。楽しくみてはいたが途中から男性キャラの心理描写が丁寧になり、「女性二人の愛と冒険の物語」というよりは「僕ら男子が彼女たちを応援する物語」になったと感じた。
また、女性二人のカップルはモブ含め幾度か見たが、男性二人カップルの描写は「兄弟愛」以外にあまり目立たないことも気になっていた。
その分、ヒロインと男子キャラを戦わせてBLっぽい関係性を演出するなどしてBL好きなファン層を惹きつけてはいたが、常に保守系男性ファンの目線を意識してる印象は消えなかった。
なので公式がヒロイン二人の「結婚」を明言しようとせず、一度世に出た文言を消すまでしたことと自分の印象とは残念ながら矛盾していない。
クィアベイティング、つまり商業目的のためにLGBTQの権利に関心を寄せているアニメという批判があるが、より正確に言えば、同性愛嫌悪感情に配慮した作品なのだと思う。権利に関心を寄せるふりすらしてないのだから。
そして製作陣のトップも一部のファンも方はその罪深さをまだ自覚してない。この件で「みんなに配慮」できると勘違いしているのだ。
超絶うなづいている。
「第4章に明確に描かれるかたちで、フェミニズムからアセクシュアルが排除されるということは日本ではないと思います。なぜかというと、本で描かれている排除は「ポルノ論争」(*1)という文脈ありきのものだからです。この論争は、のちのセックス・ポジティブなフェミニズムの主流化の下地となりましたが、日本ではこの論争自体がありませんでした。けれど、だからといって、アセクシュアル差別がないわけではないし、いわゆるセックス・ポジティヴのフェミニズムが主流になっていないからといって、フェミニズムの主流が強制的(異)性愛の体制に無縁であるとはいえません。
たとえば、著名なフェミニストが「オトコは自分のペニス一本しか知らないけれどもオンナは何本も知っている」と述べたことがあるらしいのですが、この発言は問題含みです。男性特権を崩す文脈でなされた発言であるのは理解できるにしても、そもそも「知らなくていいじゃん」ということこそフェミニズムの役割だったのではないでしょうか。」
BBCがMastodonサーバを実験的にたてたそうで。半年間やってみるんだって。
よし、皆でかいぐりして住み着いてもらおう~~・・・!?!?(かいぐりって何、かいぐりって)
ってか、.bbcなんだねえ・・・
https://social.bbc/about
後でどれかフォローしてみやふ。。。名前が通っていて人気を集めやすい組織とFediverseは、割と相性がいいと思うけれども
この傾向を更に延長した先にあるのが、大阪の空襲被害を展示する市立博物館の「ピースおおさか」の展示だ。
維新主導による「改装」ののち、それは日本のアジア「進出」を正当化し、太平洋戦争を欧米への抵抗として描くセクションから始まるようになった。
そもそも、歴史修正=ヒストリカル・リビジョン、つまり歴史の見直しというものが、ドイツおけるドイツ戦争被害者への注目に端を発したことも思い出してよい。
「我々の側の死者も悼まれるべきだ」という発想それ自体はせいとうだが、そこには危うさが常に含まれる。
ドイツ人の犠牲に大きな反省を含みつつ言及した名作、『ブリキの太鼓』の作者が、バルト海経由でのドイツ人引揚者の苦難を描くことを通じて歴史修正主義に合流してしまったことにも注意してよい。
「ヒロシマタイムライン」の例にもあったように、日本においてはその矛盾は日本帝国の植民地・被占領地の扱いとして現れる。そしてそれはもっと大きな問題の一部であるに過ぎない。
正面から書いておくけど、この件、何が遺憾であり、何に対して配慮を求めてるんだよ、と思う。
そもそもそれはどんな戦争であり、誰が始めたのか。それに対する「配慮」を欠いた抗議をすることは何を意味するのか。
もちろん、それとこれとは別だという考え方はある。世界に悲劇がたくさんある中で、日本で起きた大量死について、日本人が悼み、悲しみ、死者の尊厳を守らなかったら誰がそれをするのか。
そういう理屈はあり得るし、僕も広島に行ったときにそのことを随分考えた。
しかし、そもそも広島にある平和記念資料館自体が、すべての被爆者を同等に悼んでいるわけではない。「改修」後のあそこで見せられるのは日本人被爆者のヒロイックな姿だ。
広島に住むことを強いられていた朝鮮・韓国人の被爆者は一人しか紹介されず、その人がそこに来た経緯も、戦後の日本政府による扱いにも触れられることはない。
とりあえずついったーからの避難用。オタクとかマイノリティ関連とか趣味とか、運用方法未定。基本連合TL等にはのらない未収載でつぶやきます。