娘の辛さに寄り添うのが時々辛くなる。本当に辛いのはどう考えても本人なのに、私の寄り添いなんて適当で、日中は仕事でいないからほんの一時的なものなのに。情けない。親なのに。
と、自分を責めてしまいそうになるけれど。
私の寄り添いは適当。もちろんそう。ものすごく真剣に深刻に真顔でのめり込んで寄り添うなんて絶対しないしできないしそんなの娘も望んでない。
でも適当に放置したり寄り添ったりの、その『適当』の加減を、やはりどうしたって慎重に測ってる。娘の表情や顔色や声音、しぐさ、今までの経過を勘定に入れてその都度少しでも最適解であることを願いながら応対してる。
それがもう5年目。幼稚園の頃からなら10年。仕事中だって毎日子らのことを考える。まぁそれを思えばやはり『適当で一時的』ではないよな。情けなくはないよな、疲れて嫌になる時はそりゃあるよな、と思う。
娘はよく一人旅に出たがる。中学生だから無理だけど、気持ちはよく分かるよ。どこか遠くで一人になりたい。