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帰還にあたって書店に寄り、文藝2024秋を購入。特集2は「怖怖怖怖怖」でホラー特集。まず作品ガイドと、春日武彦×梨 対談を読む。
特集1「世界文学は忘却に抵抗する」は、もう本当に、勉強させていただきます……。

こういう憶測が訂正できる、ええ時代や……。

と思ったが、NDLDLで2000年以前の例が13件出てきたので、一般的な言い回しとは言えないが創意ではない。って感じか。学び。

「才能の無駄遣い」というよく知られたフレーズは、西尾維新『サイコロジカル』(2002)が典拠だと思っているが、いかがか。ふたばより前。

千夜千冊は、2010年前後の日本語インターネットにおいて、よく言えばハイパーテキストの理念の体現、すごく悪く言えば人文系SEOだった。模範的な書評ではなかったことは間違いない。他の活動も含めて、変わった方だった。

夢ツイート: 物語を語るためバナナを獲るサル、そのサルを狩る父親。

私としては、「純粋に語学として英語を学んだ人」略して「純ゴガ」を提唱したい(冗談です)。

純ジャパ、って言い方よくないよね、という意識が広まったのか、純ドメという(昔からある)言い方が使われることが増えたかも、という霊感があるが、
純ジャパが持っていた、日本語話者の日本というnationが自明視されており、非英語非日本語話者の環境・ルーツの人々が不可視化されているという問題は解消されていないばかりか、むしろnation意識を糊塗するための言い換えにすぎず、悪化しているのではないか。

たとえば5年後に掘り返されてドン引き、みたいな事態もありうる。各自なりの線引きあると思うが、一般的に、自分自身がロリコンについて言えないようなことはショタコンについても言わない方が良いのではないか(社説)。

2010年頃の言説的ロリコンチキンレースみたいな暴走が今、ショタコンで起きていないだろうか。大丈夫なのかこれ。

ところで、私が32歳になったということは、ブルーノ・シュルツが生誕132年だということを意味します。ジャスト1世紀違い。

大場ななさんの誕生日でもあり、たいへん誇りに思っていますが、私が大場ななさんのように生きていきたいかと言いますと、無理だし、そうすべきでもないように思えます。穏やかに生きていきたいです。

本日、またひとつ歳をとりました。お世話になった方々、まことにありがとうございました。より良い1年にしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

それにしても、ほうれん草は無いわ。こういうちょけをしてもいいと思ってる傲慢さがね。

石田英敬先生は、いつもあらゆる発言がズレていると感じる。

ミクロな文章技術をみっちり練習する指南本、が長らく空白になってきていた、『文舵』がそこに見事に嵌ったというのは、完全に同意見です。

大学制度を通じて修辞学/弁論術が技芸として伝達されていったのと、創作ワークショップとか合評会に共通性を見るのはそうだなーと思いました。

そういうわけで、今薦めるには不適切な側面があると思います。記事読んでて引っかかりを覚える読者けっこういるんじゃないだろうか……。
30年以上経って、当時の(北米の比較文学科で形成された)「文学理論」というパッケージ自体がすでに歴史化されているのもある。
現在のファースト・チョイスとしては、『クリティカル・ワード 文学理論』なのかなと私は思っております。

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