大学内でやることの意義は、毎週決まった時間に集まって、最初から最後まで逐語的にちくちく議論することを習慣化できることではないか。
発表担当になれば(ことによるとわずか数ページの)担当範囲に対して、読解対象の性質によるけれども、場合によっては20時間、30時間とかかけてレジュメなどを準備するわけです。これは精読するって大変やね、きっと普段読み流している他の本もそうなんだろうなという想像力を与えてくれる。
こういうのも高い意欲のあるひとが集まれば別に大学でなくでもできる。
とはいえ準備時間がネックになり、どこかで割り切りが必要になることが多いと思う。
一方、ファシリテーションに関して言えば会社員など別のところでの経験がプラスになると思う。