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私は、自分が女性だと思うなら女性として生きればいいし、男性だと思うなら男性として生きればいいと思う。

しかし、そもそも人は、女性らしさ、男性らしさから解放されるべきだと思うので、「女性として生きたい」ということがどういうことなのかはよくわからないが、髪を伸ばし、スカートやハイヒールを履いてアクセサリーをつけて、化粧をしたり、ピンクの服を着たりしたいのであれば好きなようにすればよい。

しかし、それは女性として生きることとは関係ないと思う。

化粧もせず、短髪で、アクセサリーもつけず、青いズボンを履く女性もいるが、それで彼女が男性として生きているとは思わない。なんらかの病気で子宮を摘出したり、生理がなかったりする女性がいたとしても、それでその人が女性ではないとは思わない。

お人形が好きな男性がいてもいいし、鉄道模型が好きな女性がいてもいい。自分の嗜好に従って性別を変える必要はない。むしろそれまでの性概念を変えればよい。

女として生きる、とはどういうことか?特に社会的役割、ジェンダーとしての女として生きるとはどういうことか?

それは、小さいころから、「女だから」と言われること。
女だからそんな乱暴な言葉を使ってはいけない。
女だからあまりいい学校に行くと、嫁の貰い手がなくなる。
女だからお勤めは腰掛け(死語?)程度にして、良いお相手を見つけて、結婚したら、あるいは子供ができたら家庭に入りなさい。*註:この「永久就職」は一昔前の規範で、今は、結婚して専業主婦になるのはむしろ許されない贅沢になりつつあり、「子供の手が離れたら、低賃金で働け」に変わりつつある。
男は妻子を養わなければならないが、女にはその必要がないから、就職や出世は、男性優先でもしかたない。
女だから仕事を持っていても、家事育児を担うのは当然。
子供がこんな風になったのは、母親であるお前の責任だろ?
(女じゃ話にならない)、責任者(の男)を出せ。

等々。

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