フォロー

企業や政府機関に責任のある事故などの場合、責任のある個人に責任を求めるのは愚策で、構造的な問題を追求し、今後の対策に役立てなければいけない、みたいな話を良くネットでは見かける。

航空機事故などで、司法取引の制度がある米国などでの事故調査の流儀を優れているとし、責任ある個人を免責することで、より安全な未来が得られるって言い分だ。

一面において全く正しい主張だし、それで得られる社会的利益は大きいと思うけど、別の面から評価すると責任ある個人は大抵が社会的に力を持つ人間で、権力者側のグループに属しており、そう言う人間であるから免責されるべきであるって本音を隠すために責任者個人として取るべき責任をとらず、なあなあにしてしまう結果を常に生じる解決方法で、それでは責任者のとる責任とは何かって話になってくる。

そう言う話で思い出すのは、とかく自らを国家の最高責任者として「私に責任がある」と言い続けた割に、個別の不始末において具体的にどういう形式で責任をとったのかが良くわからない、安倍元首相である。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。