唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

きっかけは最近ちょっとだけ職場で話すメンバーが変わったとか、JJGさん達含めたSNS発信やら、毎回急所に近いとこを刺してくるカレー沢先生の某漫画やらいろいろあるんだけど
自分ってつくづく「前世の徳を食い潰しつつ、のらくら生き延びたタイプの人間」だなと思う。
本当に人間社会に向いてないんだけど、運の良さだけで(学んだ方が良かったもの含めて)ぶつからずにすり抜けて来てしまった。

「ま、私なりに辛い時期も乗り越えてきたしな~」みたいな自負が今さら崩れてきて、
つまずいたり、つみあげたりしながら生きてきた方々にとってはモヤモヤする存在だろうなと思う。私も人としての厚みの差を感じて眩しかったり切なかったりする。
と言いつつこんな私に対して仲間意識持ってくれる人もまさか居ますか??とちょっと思ったりもするので書くだけ書く。

(大学以外の)学校の人間関係なんて特に駄目で、学校に友達がいる時期もいない時期も経験したけど、友達いなくてもいじめ等には会わず、習い事にも行かせてもらってたからそこの友達居ればいいやとなり
家が自営業で、暇で事務所に入り浸れば、なんとなく大人に可愛がられたりしたので自尊心も致命傷を避けることが出来た。しかも事務所には猫もいたので最高だった。

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唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

事務所でもほぼ猫撫でてるか絵描いてるだけで大人しかったので多分邪魔ではなかったと思うけど、今思えばどうだったんだろうな…。

自分が思ってた以上にレアケースらしいけど家族ともかなり仲が良く、兄弟も歳が近くて学生時代の私にはわりと貴重な「仲良しの同年代」だった。(習い事の友達は歳がばらばらだった)
学校のことは一応先生から伝わったらしく、親から恐る恐る「本人的には気にしてないのかもしれないけど親としては心配」と一度だけ言われたことがあるが、けろっとして普通に学校行ってたのでそのまま放っておいて貰えたのも当時の気持ちとしては楽だった。

あと学校がくそ暇すぎて勉強に集中できたので成績が良かったり(これにより塾にも行かされず伸び伸びできた)、ピアノ習ってる人が意外と少なくて合唱コンの伴奏など適度に目立つ機会も貰えたりしてクラス内で浮いてても蔑ろにはされなかったのも幸運だった。

私の危機感ZEROなところはこのあたりをベースとしていると思われる。
あと「学校辛かったら逃げていいんだよ」的な話に100%善意から「そうそう!」とめっちゃ頷いてた時期もあったんだけど、お前が言うなって感じでぞっとするわ。
お前はベリーイージーモードやぞ。(おかげでレベルは上がらなかった

· · SubwayTooter · 1 · 0 · 0

唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

寂しい学校生活だったろうと思われる方も多いだろうけど、本当に好き勝手やらせて貰えた。
自分的には、一時的に辛かったものの悪くない学生時代だったと思ってる。でも、たぶん気を遣わせるので表だって言いづらいのが寂しい。
これまでフェイクなしで書いたけど、それが出来るのは、これを読んでリアルの私と結びつけてぴんとくる方がほとんどいないはずだから。
そして仮に奇跡的にその数人の目に届いても別に問題ないからである。

心の負荷が最低限だったことと引き換えに、常識が抜け落ちている(自覚が難しい)、学校あるある・同年代では鉄板の懐かしの話題などがまじで分からんというコンプレックスは残った。
それとひとりで過ごしすぎて、言葉を発するまでにストッパーができたので、未だに意識しないと話したつもりで話してない(脳内だけで返事してる)という後遺症があるし、ひとり行動のハードルが低すぎて、楽な方に流れがち。

今の仕事も異動多いのと客先常駐という、自社・職場ともにある程度距離感がある環境から、常識や社会性の無さによる問題が表面化しづらいので助かってる部分はある。
長期で仲良くならないとまずい職場での、あの特有のバランス感覚(本質的には理解してないけどあるよね?)は持ち合わせていない。

唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

当初は大学図書館とかで働きたいな~と資格とったり実習したりしてたので、それが出来なくて挫折感を味わったけど、今思えば完全に正解ルートでしたね。。
その精神状態で面接に臨んだのに何故か拾ってくれた会社には感謝してます。
SEって同じ会社でも客先によってだいぶ環境に差が出るんだけど、今までの異動で合わなかった経験がないので、ここでも強運を発揮しています。(前世で何をしたんだろう。あと、強運の残機が気になる

人と行動するのが嫌というわけではないしむしろ楽しいけど、負担をかけてるという不安を避けたくなるという感じです。
今私と一緒に行動してくれる一握りの人たちは、少ない中からさらに生き残った関係なので大丈夫ですが

基本的には「自分で選んで入った」「同じ目的を持った」「狭いコミュニティ」の中で気があったというルートでしか人と仲良くなれず、たまたま知り合った方と仲良くなることが全く出来ない。そして接点の継続が難しい。
私の能力の問題もあるけど、このへんは学校とかで身につけるもので一度逃げて後から追い付くということの難しさを感じる。
(この意味でも不向きだからと安易に学校の人間関係を避けるのを勧めるというのが良いのか分からなくなってくる。問題ない人もいるだろうけど)

唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

とまぁ、このあたり問題ですよね?と考えてるんですけど、「理解」と「実感」の距離が遠くて気も遠くなってきます。
危機感が無いんですよね、大きな問題になってないから。
あと実体験より、いろいろなところからの知識的から辿ってるので問題の捉え方もずれてるかもしれませんね。

今のところ、友達からしたら私は「○○というジャンル内の友達」で、本名知ってて、普通に家にお邪魔したり旅行行ったり出来る関係の深さだけれども、やっぱり相手に見せる範囲は限定される感じがするんです。

それが「問題」な気がしてるけど、実感としてはそうでもないという。
(いざという時助けあえるか?という観点ではないです。そこまでは求めてないので、それは別途自分で備える予定。
「関係性を築けないことそのもの」を問題視されるのでは?悪循環になりそうという漠然とした考えがわいてしまう)

↑の文章を見たときに、私の中で思う「問題なく社会的な人」はどう思うのか、、「そんなこと考えてないよ、こいつめんどくさ…」ってなるのかなぁ。

そして、日本は家族の関係を重んじるというか、なんかあったらそこでなんとかしろって空気があるけど、自分で家庭作る方面は最初から切ってる節がある。
それこそ本当に無理そうなので。。

唐突な自分の過去語り (無益。書きたい時に追記) 

まず「子供」に関しては、相当初期の段階で無理と判断し、無事自分の親には伝えて一応納得はされた(たぶん)という状況。
自分としては、自分の親(特に母親)以外にそのことでつべこべ言われる筋合いはないと思ってるので、一応は解決。
それ以外の他人はもちろん、例えば夫に当たる人だとしても、何を選んで何を捨てるかは選べたはずなので。

とは言えこれは私の考えなので、現実ではその前の「結婚」の時点で、私が相当不利な立場となる。
だんだんと許容する空気にはなってるけど、わざわざリスキーな方に行く?強要はされないにしても不要なストレス増やす?ってなっちゃう。
結局「理解される」までの努力をしなければならないというね。少なくともうちの親ほどはすんなり行かないだろう。
単身もかなりリスキーだけど、それより嫌なんだよな性格的に。
あと結婚・家は制度的に嫌い。(過激派)

これも「問題」なのかもしれないけど、さきほどのより危機感は無いですね…。
でも今の客先だとこのへんの価値観は過去のとこ以上に浮くのですよ、かなりファミリーにフレンドリーでホワイトなところでして。わざわざ明かさないけど

タイトルの「過去語り」じゃなくなってきたけど、こういうのを整理したいから書き始めたところはある

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