12年前…この時間には、西船橋駅近くの小学校の体育館に避難していたな。
一人だったから、温風機の近くを陣取ることが出来て暖かくて助かった。
あの日、四谷税務署で確定申告書を提出してから、千葉県内の病院に入院していた夫の所へ行く予定だった。
虫の知らせだったのか…今でも不思議なのだけれど、いつもなら、気にも留めないパン屋の商品案内ポスターに目が止まり、無性に食べたくなって、吸い込まれるように店内へ。
この写真の " コーヒーあんぱん " と塩パンを買った。
電車に乗って、約30分後、総武快速が急停車。
何が起こったのか、車内の全員がキョトンとしていた。
少しして、電車が揺れ、窓の外の電柱が激しく揺れているのを見て、ようやく地震だとわかった。
車掌が車内スピーカーをONにしたままだったので、本部からの情報が逐一入ってきて、かなりの状況だと察しがついた。
結局、運行再開には至らず、乗客は電車を降りて、線路上を歩いて西船橋駅まで行く事になった。
西船橋駅では吉野家などの飲食店は、急きょ、閉店。
コンビニに入ったけれど、もう食品はほぼ売り切れだった。
" コーヒーあんぱん " よ、ありがとう。
お陰で空腹に耐えずに済みました。
この垂れ幕を見る度に思い出す、私の3.11の記憶のひとつ。
JALの飛んだヴィーガン食…
手前にあるのは、箸とおしぼり?
このバナナを箸で食べろと?
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【「侮辱的に感じた」JALのヴィーガン食に衝撃広がる ⇒「メニューの変更を検討」
ビジネスクラスでこれは、さすがに悲しい...】
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_63fd5a2ae4b0db7a1f676a38
【オードリー・ヘップバーンがジバンシィから受け取った「最後のプレゼント」】
「オードリー・ヘップバーンが63歳のときに、余命3カ月の宣告を受けた。そのさい、彼女が望んでいたのは、スイスでクリスマスを過ごすことだった。その願いを叶えたのは、友人でファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィだ。」
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オードリー・ヘップバーンさんは、私の好きな女優さんの一人です。
ファッションに憧れましたね。
映画の中でジバンシィ氏の衣装は数々あるけれど、その中でも私の心をとらえて離さなかったのは「麗しのサブリナ」の時のドレス。
このドレスは今でも一番好きなデザインですね。
『「麗しのサブリナ」……そういえば、20代前半の頃、自由が丘の武蔵野館に観に行ったなぁ』と、今は無き、自由が丘の武蔵野館という小さな映画館を思いを馳せたりして…。
https://www.gqjapan.jp/culture/celebrity/20170905/audrey-hepburn-final-gift-from-givenchy
幼い頃から自然と絵を描いていました。彫金を習い、ジュエリー作成。米米CLUB(石井竜也)ファン。着物好き。猫好き。カラオケ好き。遺伝なのか、自己免疫疾患を患って参りました。幼児期は、難病の特発性血小板減少性紫斑病(完治)。今は肝臓にFNH(暫定)という腫瘤、難病のPBCと膠原病の強皮症を合併…投薬で現状維持して生活中。
(避難用アカウント)
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