(先日教えていただいた岩佐美代子氏の研究(京極派和歌における唯識の影響)を起点として、いくつか論文を読んでみたが、『古今集』序の「やまと歌は人の心を種として」に対する注釈で三性説が用いられるなど、想像以上に日本の伝統的文学理論において唯識が援用されているようだ。)

@moroshigeki 能の詞章にもよく和歌が使われていますが、中世において和歌の唯識的解釈が常識として知られていた、とするなら能には唯識の考え方が根底にある、と考えられるのでしょうか。

@ 私の見ている狭い範囲では、唯識だけではなく、様々な仏教の思想が背景にあると思います。作品だけでなく、能の理論的な文献で説かれることの背景にある思想については、和歌をはじめとする中世の文学理論をきちんと押さえないといけないと思います。

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@moroshigeki ありがとうございます(*´`)
世阿弥さんに限って言えば「自分を救えるのは自分」という思想の底には唯識があるような気がします。それプラス様々な仏教要素があるのかなぁと。能の曲を調べることにより作者の思想、時代による和歌や仏教の理解の変遷などが分かるかもしれませんね…!
それにしても中世の和歌や文学、仏教の理論をおさえるのは大変な気がします…でもそこがしっかり分かってないと曲を理解するのも演ずるのも難しいのだろうと思います。

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