Mastodonに集うことは正しい、かも by 孔子
知者愚者の別はともかく、世の中が狂っていると、何か言いたくなる/働きかけたくなるのが人の常なのは、身に覚えがあるだけに痛みを感じるが。
狂った世の中で名を上げたのなら、それは正しく狂っているということであり、故に狂った世の中で愚者であるのが、知者であることなのだろう。
さしづめ、Twitterその他で名を上げるぐらいなら、自分でMastodonサーバ立ち上げて篭っている方が正しい、とも受け取れる。
孔子、何と恐ろしき視点。
確かに、愚者になるのは難しいなあ。
以下、超訳論語より引用。
〇七三 愚者になるのはむずかしい
衛の国の大夫であった甯武子は実に立派な人物だった。国に道理が通っているときには、彼は知者として現れた。ところが国に道理が通らなくなると愚者になってみせた。
その知者ぶりは、真似できなくもないが、その愚者ぶりは、なかなか真似できないね。
(公冶長第五21)
(安冨歩著「超訳論語」より)