「すずめの戸締まり」観てきた2/手に入れた、のではなく
違ってたね。手に入れたのではない。
もともとその手の中にあったんだ。
黒塗りの日記、足のかけた小さな椅子。初めからなかったかのような「普通の家族」。
朧げな記憶の中で、母だと思っていた人は、「未来の自分」だったこと。「普通の家族」は、始まる前に失われていた。
始めからなかったものは取り返せないが、手の中にあったものには気づくことができる。
それは「何も決まっていない未来」のことだったのだろう。
「要石」になるのは、その状態で固定されることだとすると、そこからの脱出は、「何も決まっていない未来」に還ってくるということになるのだろう。
新海誠の作品は、「喪失と成熟」という観点からは、評価が難しい。
過去の作品から共通しているのは、主人公が「行って還」ってくるが、行く前とは何がどう変わっているのかが読み取りづらいこと。
失われるはずのものが失われず、では何を手にしたのかというと、それもよくわからない。
よくできた作品だとは思う。そして、「喪失と成熟」でストーリーを描くことが、困難な時代に生きているのだな、とも感じた作品だった。