うちのガラスペンをひさびさに出しました。きれいだな。

引用のかたちは引用するものが従になるように意識してる。仕事で短詩をたくさん引いていた時はひとつひとつ権利者に確認を取っていた(私がではないが)ので、SNSなどで個人の裁量で引用しようとする時はいつも怖いなと思いながらやっている。

最近の短歌などは「引用・転載OKですよ」と作者さん自身がSNS上で発信することが増えている印象。

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せっかくだから何か…書こう! という気持ちで。

手書きで引用した短歌は、1977年刊行の本からなので当時インターネットなんかまだないんだけど、SNSのことを思いついた。ネットの文章の投稿者の眼、というか顔は見えないんだけど言葉は今も十分怖いしかなしい気がするし、もし眼が合えば余計に恐ろしい心地がするだろうな、と。
かなしさは言葉が無機的だと感じることからくるだろうか。このうたが詠まれたときの感触とは違いそうだな。

引用の形として…大丈夫かな? たぶん大丈夫かな。と(いつも)思うけどもし問題があったらソッと教えてください。

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