星野さんの記事が炎上してるっぽいけど、あれはリベラル的な「正義」を根拠にしてそうでない言説を批判して世の中を変えようとする限界を指摘しているんだと思ってる。

人権や反差別という理念はぼくも「正しい」と思う。ただ自分の方に「正義」があり、そうでないおまえらは「間違っている」から変わるべきだ、という主張に耳を貸す人はあまり多くないと思う。誰も自分が「間違っている」とは思わないし、思いたくないから。「おまえらは間違っている」という主張は変化ではなく、ときに断絶を生む。

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だから本当に「正しくない」世の中を変えていきたいのなら、もうちょっとそうでない「対話」のあり方を探していくべき。それは自分の信じる「正しさ」を捨てることでも、社会の「正しくなさ」に妥協することでもない。「正義」を相対化するというのはそういう主張だと思う。

だからあの記事に「正義が行き過ぎてるというなら、この社会にもっと正義があるはずですよね。正義を主張することのなにがまずいんですか?」とか「正義を取り下げるなんて、お前は腰砕けか!」みたいな反応がついていても、ぼくには「正義があるのは自分だ」「おまえは『間違っている』」という排除の論理に見える。そういうとこやぞ、と思う。自分の「正しさ」を捨てる必要はない(ぼくもリベラル的な価値観の方が「正しい」と思う)けど、自分の言動の裏にある価値観や、自分の語り方の妥当性をいっさい疑わないのも危うくない?

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