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文学を話題にしつつ言語技術を扱う、という工夫はよくわかる。ただそれと別に言語技術を使うことで文学を読む/書くことがどう変わるかといった議論をする必要がある気がする。

これと同じようなことはこの前の日本語学会でも話題になっていた。日本語学的な説明的文章をもっと教材に入れたらよいなど。ただ「話題にふれた」ことがほんとうに「学んだ」といえるのか。

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