「その言葉をわかって評価したい」という気持ちには「私達の言葉をわかって評価して欲しい」が重なる時もあって、最近は高評価だった映画のことでそう思ってういた。映画なので「テキスト」そのものではないのだけれども字幕について。(字幕もテキストではあるけど)
字幕で評価した映画を原語が理解出来るようになってから見たら、やはり評価するのか?とか。(これはこっちで高評価だった邦画を私があまり評価できず、一緒に観た日本語話者のオットもピンとこない、と言っていたから考えついたのだけれども)

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この映画の中で私が美しいと思った2つの部分の一つ目が手話だった。けれども、後日その手話で演じた役者さんが聴者で手話は役のために勉強したこと。また、この方の手話を見た難聴者の方々には「言語としてどうか?」と手話会話を評価しない人達がいた、と聞いて自分が「知らない言語をわかって評価したつもりになっていた」と恥いった。
だから原語を理解する事は大切だと思うし、全部の聴衆が原語を理解しないとしても、出来れば「ネイティブ」が演じるのが普通だと思う。
マーベル映画でも手話で演じていた役者さんは本当に難聴者の方だった。それで映画はしっかりと成り立っていたし。

こんな事を考えていたら、キャトリン・フロがトランスジェンダー役をすると聞いて、フランス遅れてるやん、あかんやん、と思った。
キャトリン・フロは好きな女優さんだけど。

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