皆さんも言及されているけれど日本語世界とその他の世界の における温度差、「言論の自由」にどれだけ敏感に国民/市民がobserveし続けなければならないか、という理解度の差でもあるなと思ってる。母国の「言論の自由」は、戦後に漸く与えられた貴重な自由なのに、空気のように当たり前にあるものでかつ他者をあからさまに傷つけたり害するのも「自由」だと解されている向きが多いからなあ。自由と放埒が同義語になっていて、自由に「リテラシー」があることを理解していない大衆、というイメージだ。
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