(続き)→ 日本軍は伊江島での飛行場建設工事に住民を動員、その後は軍内の情報が漏れる事を恐れて住民を監視しており、島外への疎開も禁じていました。
乳飲み子を背負った女性や10代の子どもまで「切り込み隊」に編入され、米軍に特攻。
また壕に避難した住民も追い詰められ、爆雷などで集団死へ。
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平和な島に日本軍が大規模な飛行場を建てた事から米軍の標的となり、「沖縄戦の縮図」と言われるほど多くの惨劇があった伊江島。
戦後も米軍の不発弾処理船爆発で住民ら102名が死亡するなど、犠牲が続きました。
今は観光やダイビングで人気のこの島を訪れたら、戦争遺跡にもぜひ足を向けてみては。