『ぼくは6歳、紅茶プランテーションで生まれて。:スリランカ・農園労働者の現実から見えてくる不平等』
著/栗原俊輔

スリランカの紅茶プランテーション農場の歴史は、19世紀、イギリスの植民地にされたことから始まった。独立と内戦を経てもなお150年前から続く過酷な労働現場と構造的不平等、そんななかで世界は何ができるのか。

この前読んだ『マーリ・アルメイダの七つの月』のあとがきで紹介されていた本のうちの一冊。今もう一度『マーリ・アルメイダ~』を読み返したら印象が変わりそう。タイトルに「僕は6歳」とあるので、農園で暮らす6歳の男の子のルポなのかと思いきや、そうでもなく、スリランカ全土のプランテーションの状況について説明がされていた。

平易な言葉遣いで内容も分かりやすく、中学生位なら余裕で読めそうな内容になっており、字も大きくてすぐに読み切れる本。スリランカを知るための最初の一冊にはちょうどよかった。

続)

『ぼくは6歳、紅茶プランテーションで生まれて。』感想続き 

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植民地にされたことで、それまで誰も飲んでいなかった紅茶を育てることになり、紅茶畑の管理をさせるためにインドから移住させられた人々は、今も根強く残る差別をうけながら、山間部のプランテーションで生活している。雨漏りのする住居でトイレは共同、お風呂はなし。労働者を一生涯働かせるための農場なので、保育園も簡単な病院もあって、一歩も外に出ず生涯を終える人もいる。畑での生活は朝から晩まで働き詰めでロクな娯楽もなく、お酒を飲むしか楽しみはない。家庭内暴力も少なからずあるという。男性は工場で機械を操作して朝~昼過ぎまで働く一方、女性は朝~夕方まで畑で茶摘みの肉体労働。どちらにしてもしんどいしごとだが、ここにも男女差別が存在する。

そんな生活に村の人々は「慣れた」と言う。農園で暮らす子供たちのなかに「将来ここで働きたい」と言う子は一人もいない。それでも、ほとんどの子は大人になって農園で働く。名前だけは教科書で知っていた「プランテーション」という仕組みの邪悪さがよくわかった。

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『ぼくは6歳、紅茶プランテーションで生まれて。』感想続きの2 

ところで私はルピシアの紅茶が好きで、贈り物に買ったり、クリスマス時期にブックオブティーを買ったりしている。運よくポイントが溜まると、ティーバッグ2つと会報誌が毎月届けられる。今月の特集は『セイロンの名を継ぐ紅茶』で、「伝統的な方法で栽培されて手摘みされる上質な紅茶」「歴史を感じる街並みが残されている」というキラキラな記載に渋い顔になった。それに「セイロン」はイギリスの植民地だった影響でつけられた国名だそうなので、歴史の重みを感じるためにエモく使っていい名前ではないのでは……とモヤモヤしながら紅茶をすすった。

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