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『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』
著/信田さよ子

家族内でおこる暴力行為がいかに国家の思惑と結びついているかを説く。比較的さくっと読めた。別の本も読みたい。

家庭内での出来事に関して国家は不可侵であるべきである、という戦後日本の原則は、裏返せば、国家は家庭内における家長=男性のふるまいを黙認することだった、という指摘にぞくっとした。人類皆平等という建前のもと、家の中に発生する男/女、親/子の不均衡は『あえて』見過ごされた。不均衡を黙認する国家と利益を甘受する家長。家の内部で虐げられる者は犠牲者にすらなれなかった。名前が与えられたことで(DV、依存、虐待...)ようやく被害者は被害者として、加害者に責任追及できるようになる。

でも、自分がどれだけ相手を害しているか理解しない加害者は多い。加害者に責任を取らせることの難しさは、以前『言葉を失ったあとで』(著/信田さよ子・上間陽子)を読んだときにも語られていた。それでも暴力を振るう者が振るわなくなることで「家族」の形をギリギリ維持できる。

崩壊寸前の「家族」を見て見ぬふりして、うちの国家は『古き良き日本の家族』的なものを再生させるべくせっせと広報に励む。夫婦別姓とか同性婚とか夢のまた夢じゃないの、などとおもった。

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