📘『楊家将演義読本』を読む。

『楊家将演義』が面白かったので『読本』の方もゲットしてみた。一般読者向けの割には文学ジャンルや史実や演劇やその他トピックなど、様々な観点からの解説で面白そう。以下メモ。

★大塚秀高「『楊家将演義』前後の歴史小説」
演義小説の紹介と、特に家小説と呼ばれるジャンルについて。親世代子世代孫世代…にまたがる大河ドラマ的な作品群だが、楊家将だけでなく、薛家将、羅家将、狄家将、岳家将など色々あったらしい。作品の成立の過程が二次創作アンソロジーかと言うようなやつもあるらしくて面白い。

★松浦智子「「楊家将演義について」:『北宋志伝』と『楊家府演義』とその祖本」
「楊家将演義」として知られる二種類の刊本(より歴史小説のふりをしてるのと、より荒唐無稽なの)の先後関係(後者が内容的にはより古いが刊行は前者が古そう)とか、両者共通の旧本小説の存在とか。旧本小説はおそらく説唱文芸である詞話に類するものだったと推測されている。
ところで楊家将の物語は元代の説唱文芸を経由しているとして、個人的に気になるのは、別件だが、明初の鄭和さんが主人公の「三宝太監西洋記」はどういう経緯で作品になったのかと言うところ。やはり説唱文芸的なものを経由したのか、いきなり白話小説…ってことはあるのか無いのか、とか。

📘『楊家将演義読本』を読む。(つづき)

★勝山稔「『楊家将演義」の時代における社会情勢について:都市生活と婚姻事情を中心に」
「楊家将演義」は宋代が舞台だけど書かれたのは明代だから明代の用語や風習も入っているよ→人口密集した都市が出現した宋代以降の「隣近所」概念と、地縁血縁が機能しなくなった都市部での婚活事情(結婚斡旋)を紹介するよ、という「楊家将演義」とはあまり関係ないような気がするけど面白い文章。ひょっとすると、「水都百景録」の民家の人間関係って、同じ家に住んでいるというより、この小論の隣近所概念なのかもしれない。なお引用される白話小説はほとんど馮夢龍編のやつ。

(今日はここまで)

『楊家将演義読本』寒くて布団に巻かれているうちに読了してしまった。

★小松謙「元・明演劇における楊家将物語」
★細井尚子「舞台の上の『楊家将演義』」
★平林宣和「京劇の楊家将物と現代中国」
演劇における楊家将ものについての論考。演劇方面全く無知だから、この手ほどきはありがたいし、テキストの作品とは全然違う世界が見えて来て面白い。南方で発展した楊家将物語が元による南北統一を経て北方系の雑劇の題材として取り入れられ、明代の北京宮廷でも行事の際に上演されたのではとか(小松論文)、小説ではそれっぽい出来事はあるものの明確には存在しない「四郎探母」の話とか。遼にとらわれの四郎おじのエピソード、私は割と好きなのですが、中国では生きて敵に降った人物の話だというので売国奴扱いで上演自粛されていた時期があったとか。あるいは新中国になってから作られた「楊門女将」と梅蘭芳の最後の作品「穆桂英掛帥」のアプローチの違いとか。京劇は伝統的なものだと考えてしまいがちだが、考えてみればバレエと同じくらいの歴史な訳で(現在に直結するのはせいぜい19世紀〜)、古典バレエ作品の演出の違いを理解するのと同程度の解像度で京劇作品も見られるようになるといいなと思った。

(多分続く)

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📘『楊家将演義読本』を読む。(その4)

★川浩二「日本人は中国の歴史小説をどう読んできたのか:「通俗軍談」を中心に」
江戸時代から明治にかけての、日本における中国の歴史小説の受容について。これ面白かった!「通俗軍談」ものは、まだ正史が出来てない明代の歴史に関する間に合わせだったり、それ以前の中国史を学ぶプレステップとして位置付けられたため、時代的なネタかぶりが避けられる等で取捨選択されていたとか、その後学習という動機を離れより広範な読者向けの絵本になってさらに作品が絞られて明治に至り、その後「中国の今」を知る観点から演劇のネタとして中国の歴史小説が再紹介されるようになったとか。「通俗軍談」が近代以降、日本文学・中国文学いずれの研究からもあまり取り上げられなかったというところ、国民国家の文学の枠組みから外れたマイノリティ文学の研究動向とも似ているような。

★三山陵「家で楽しむ「楊家将」年画」
焦賛・孟良コンビが門神として厩の守護神にされてた件、「適任!」と膝ポンしてしまった。孟良、名馬盗みまくってたものな…

★上原究一「楊家将小説の版本と挿画をめぐって」
やばい扉が開いてしまった。とりあえず積読している『中国古典文学と挿画文化』に向かいましょうか…

多分終わり。参考文献が沢山収穫できて満足です。

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