30年近く前のドジンシを読んで、この頃まだ「ホモ」が差別的響きを持ってる呼称だとか、ゲイカップルの被差別状況とか、ふんわりとしかわかってなかったことが沢山あって、「あ~~今だとこれは違う書き方するな」てのが多い。
当時的には「ホモカップル」が社会的に「存在を受け入れられる」てだけで先進的に思えてたんだよね。今じゃ「あ、それじゃ『きれいな子だから』『許される』だけになっちゃう」とか、差別性が解決されてないの分かるし、「これだと被差別者が差別を受け入れる」になってしまってるのも分かるけど、当時は気づいてなかった。
ネットが普及して小さい集団の声がアンテナの感度が大して高くない自分にも届くようになって、今ならまだまだ気づくべきとこがあったとわかる。
30年前はまだこうだったんだな。
当時気づけなかった不甲斐ない者としては申し訳ないと思う一方で、今はこういうの、当時の私より若い子でもちゃんと理解してるんだよね(少なくとも理解しようとしてる子が当時より沢山いる)。なら10年20年後は更に社会進化してるはずだよなーと思うと、やっぱ「今はこのまま書くのはアウトだからヤングの皆は真似するな」はメモっていくの大事だなと
懐古ジャンルで手持ちのものを読んでたんだけども、私そういやSDは絶対自CPセンル堅持ではあるけど、「遊び」のマキセンは読めたんだねえ。
今はどうかな~~~「あ~~~それはわかります、その組み合わせわかるんですよ、わかるのと楽しめるのとは違うんですよね、ご縁とキャラ観の微妙なズレ、いつかまた同じ旗の下に集う日がございましたらよろしくお願いします~~~~~~~~~」てなるやつ。絶対無理CPは他にある。以前文字列がTLに流れたことがあって速攻ミュートしたくらいに今も無理だなって思ったから、「こういう関係性でCPにする感覚がもう無理」てやつですね。キャラ観で無理てのもあるし、同じキャラ観だとしてその関係の方でCPを成立させる感覚が無理。相性が合わない組み合わせてのはありますね。面白いな。こういうのは不思議に変わらないな