いまの自分と切り分けられたら、いまの自分の望みではないとはっきりわかって、そしたらなんか安心した。いまの自分ののぞみだったら、叶える道筋を考えるけど、これは今のわたしの気持ちではなくて、過去の自分の残留思念なのだから、そしたら、泣いてる昔の自分をそうかそうか、そうだねそうだねつらかったねって抱きしめてやればよい。できるのはそれだけしかない。
こういうの区別できなくて、長期的にみて自分を大切にする方を選ぶのができなくて、失敗をいっぱいした。今も、長期的にみて自分を大切にする方を選ぶという点ではまだまだ心許ないけど、大切な人たちを大切にしたい、彼らと一緒にいたいという観点から結果的に、長期的に自分を大切にする方を選べている。なんだってそう。ありがたいこと。
今朝、昔付き合っていた人が結婚する夢を見た。オーソドックスな結婚式なんか絶対やらないタイプなのに、めちゃくちゃ王道なキラキラ結婚式をしていて、わたしは何故かそれをみていた。キラキラ結婚式をしているのがめちゃくちゃショックで、泣きそうな気持ちで目が覚めた。
いまだにこんなに鮮やかに絶望するのかと思うとショックだった。
冷静に考えて、今わたしには大事なパートナーがおり、大切な子どもがおり、罷り間違っても彼を選ぶことなどない。なのに、なんでこんなに泣きそうなんだろう。
子どもを迎えに行く道で、自転車に乗りながら考えていたら、なるほど、泣いているのは、今のわたしではなくて彼と別れた24のころのわたしだった。
最終的に別れた時ではなくて、もう無理だと気づいて別れた24のときのわたしだ。もっと言えば、別れた次の日、仕事を終えて栄のスクランブル交差点で信号待ちをしていたあのとき。小さな子供を連れた家族連れをみて、どうしてわたしたちはあれになれないのかと考えていた、あのときのわたし。
そのあと30になるまでの数年間は、その24のときの自分を現在の自分と混同したままぐずぐずと過ごしていたということだったんだろうな。なるほどな。腑に落ちた。勿体ないことをした。迷惑もかけた。なるほどな。
https://cookpad.com/recipe/2658729
夜これにしよっと
愛することというのは、他人を経由して自分を愛すること
自分を愛するって難しい。難しいけど、いまわたしはそれをやろうとしている。今はわたしが自分を愛することを必要としているじきなんだなあ、とはっとした。かけている要素というより、タイミングという視点。面倒を見るように自分を愛する必要のある時期がある、って印象的だった。自分の面倒を見るように自分を愛する。
いろんな自分(嫌な自分や気に入っている自分や、失敗した自分など)を、どれが本当の自分だと考えるのではなく、全部自分だと受け止める。すると、相手や環境によってその自分が立ち現れることに気づいた、と。
自分を愛するやり方って、こちらの心の持ちようというか、心の姿勢を調節したり矯正したりしてなされるものと思っていたので、「環境によって」という見方は新しかった。膜が落ちるような心地。
この人といる自分は好きとか、自分が安心していられる人というのはいて、逆にこの人といるとどうしても好きな自分になれないという人もいる。ほんとにそうだよね。
https://www.kewpie.co.jp/recipes/recipe/QP10006590/
これもいいなー!りんごとヨーグルトとくるみとキャベツ!
https://cookpad.com/recipe/1613850
これ、今度作ってみる。
この冬は、果物のサラダを日常的に/特別感なく作れるようにする、というのが密かなテーマなんだ。