愛することというのは、他人を経由して自分を愛すること
自分を愛するって難しい。難しいけど、いまわたしはそれをやろうとしている。今はわたしが自分を愛することを必要としているじきなんだなあ、とはっとした。かけている要素というより、タイミングという視点。面倒を見るように自分を愛する必要のある時期がある、って印象的だった。自分の面倒を見るように自分を愛する。
いろんな自分(嫌な自分や気に入っている自分や、失敗した自分など)を、どれが本当の自分だと考えるのではなく、全部自分だと受け止める。すると、相手や環境によってその自分が立ち現れることに気づいた、と。
自分を愛するやり方って、こちらの心の持ちようというか、心の姿勢を調節したり矯正したりしてなされるものと思っていたので、「環境によって」という見方は新しかった。膜が落ちるような心地。
この人といる自分は好きとか、自分が安心していられる人というのはいて、逆にこの人といるとどうしても好きな自分になれないという人もいる。ほんとにそうだよね。
人を失うことは、その人と居るときの好きな自分をもう生きられなくなるということだっていう話もあった。
実感として、かつての喪失後の記憶が思い起こされた。あのときのわたしは、彼といた時の自分をまたやりたくて、そのスペアを探していたんだよな。全くもって失礼だけど、彼に変わる誰かを探していた、あれは彼といる時の自分を再現してくれる誰かをさがしてたんだな。諦めきれなくて。なるほどなあ。