他人に寛容であるってことは、自分に自分が寛容であることの裏支えになってくれるんだな。わたしがわたしの過失に寛容であるとき、この過失と同様に他人の過失にも、多様な、想像も及ばないほど多様な背景があり、そちらの方面から見れば自然な帰結であるということがのみこめる。
自分の過失に寛容な自分に自分のことを慰めてもらうと、心が萎れることを回避できる。心が萎れても何の解決にもならないので、一刻も早く萎れから脱することは大事。他人の過失に寛容であることも、苛立ちや執着から脱して解決策を講じられるので良いのだろうな。
さっきコミュニケーションで失敗したけど、まあそういうこともあるさって慰められて萎れを回避したので、このスキルは必ず定着させたいなと思っている。じぶんにかんようなじぶん。