長いのでたたむ
作家としてそういうアバター願望に応える創作というのは需要供給として、ヘテロロマンスでもBLでもあるだろうし市場として↑の分析に該当していくのはそうだろうな。
故栗本薫、いや中島梓のほうか、80年代に学校の先輩に読めと渡された美少年学何とかという本で要するに美少年はスパダリに愛される自分のアバターみたいな分析していたのに違和感がもりもりだった。森茉莉に関する解釈違い過ぎてこの人無理ともなったからその後アップデートされたのか知らんけど。私は推しキャラやカプをアライ友人や家族ポジションで近くで眼福するとか、今は可視化された壁・鉢植え・天井となって見守りたい派。