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くっしー :verify: さんがブースト

一見華やかに見える世界だけど、V の人はだいたいみんな声帯痛めて手術とかしてるし、格ゲーのプロゲーマー(特にレバーレスの人)はみんな慢性腱鞘炎らしいし、毎日何時間も声張って喋り続けたり、ゲームの勝ち負けで収入が決まるってのはまあ大変な仕事ですよね…

それについては過去にYoが証明している。

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コミュニケーションの最小要件について考えている 

オーストラリア政府が若者のメンタルヘルスのためにSNSの利用を制限することと関連して、人間にとってどこからどこまでがコミュニケーションなのだろうかと考えている。

例えば昔は、会話や手紙しかコミュニケーション手段は存在しなかった。けれど電話やチャット、そしてSNSの「いいね」機能などの登場によって、実はコミュニケーションはもっと小さくありふれていることが判明したように思う。絵文字リアクションなんてデータとしてはたった数バイトだけど、されたら嬉しいし、こちらからもしたくなる。

絵文字リアクションはコミュニケーションとしての最小要件はギリギリ満たしていそうで、となると気になるのが最小要件とはどのくらいのラインなのかということ。表現の幅はどのくらい狭められるのか、遅延(リアルタイム性の欠如)はどのくらい許容されるのか。

似た話として、以前私は「マウスカーソルの位置を他者にオンラインで伝えられるだけのWebサービス」を使ったことがあり、今でもそのとき感じた思いは覚えている。マウスカーソルをリズミカルに動かすと、他の人も同調して動かしてくれた。あれは確かにコミュニケーションと言えるものだったように思う。xy座標しか共有できないながらも、リアルタイム性がそれをコミュニケーションたらしめたわけだ。

リアルタイム性が十分にあれば表現の幅は犠牲にできる。また、昔からある文通は、表現の幅を十分にもたせることでリアルタイム性を犠牲にできたものだと言えるかもしれない。

これはよくない言い方だけど……政府や親といった権力者が規制したくてもできないほどに小さくありふれたコミュニケーションとはどういったものになるだろう?

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