『八本足の蝶』を読んだ話。
先日人を待つことがあって図書館で時間を潰していたのですが、特に読みたいと決まった本もなくぶらぶら棚を眺めて歩いてたら、二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』が目に入り、ああ昔からブログは知っているけど本になったんだった、と思って手に取って窓の前の席に座って、亡くなる少し前からと、巻末に寄せられた各人の文章だけを読みました。 読めばいたましいのです。 私はただ、読むという行為によって、「人間は自分を通してしか他者を見られない」という当たり前のことを再確認して本を閉じました。 私の場合は私を生きることをちゃんとやりたい命が器に入っているな、彼女とは通る駅とレールが違うな、ということを改めて再確認するに過ぎないのです。 いまでも彼女に強く共感し、同じ硝子のレールの上を走っている若い人の姿を見かけることがあります。 苦しみの中に同志を見た想いに救われる人たちの心もわかるし、駄目だとも違うとも思わないし、私のように粗野になれれば平気だというのはそれこそ最低だと思うのでなんにもいえないんですが、それでもやっぱりいたましくてにがい思いがします。