・ゴッドはヴィクターであり怪物であり、またベラもヴィクターであり怪物でありそして『フランケンシュタイン』では創造されなかった怪物の伴侶でもあり、また関係性も入れ替わり立ち替わりで渾然一体となっている〜!その物語の構造もフランケンシュタイン!最高!原作読まねば
・『聖なる鹿殺し』も手術シーンドアップから始まるわけだけど、わたしが映画に抱く「解剖(解体)されたい」という欲望が容赦なく抉られ切り刻まれ、それと表裏一体の「解剖し(て)やりたい」欲望まで取り出して晒しあげてドアップで見せてくる〜!うれしい!このために映画を観ている!這いつくばるマチズモ!這いつくばる家父長制!(←これを書くわたしの愚かさ…)
・ベラの好奇心に物語も従い、あらゆることを観客も巻き込んで経験させてくるけど不快ではなかった。もう嫌と言う隙も与えないほど規範やら制度やらを、感情と理屈と現実とフィクションを用いてひたすら解体してゆくのがわたしにとって本当に気持ちがよかった…
・愛やセックスをひたすら解体してゆくので、スプリットアトラクションモデル的というか、Aスペクトラム的解釈ができそうと思った(観客の解釈の話で、作品自体が目指しているわけではない。結果的にそう見えるということ)
でもなんていうかかなり自分の「傷つき」に目を向けながら(勝手に)共鳴していて、これは必要なことでもあるし同時に危ういことだよなとも思う