映画『首』で関心した点(bluesky投稿内容の再掲)
この作品の重要な要素として衆道が描かれていましたが、コメディ要素も強い作風の中でそういった男性の同性愛を笑いのネタとしては一切描いていないのは他の方の感想で見ていたとはいえ改めて感心する所でした。多分ですが秀吉の「私は農民の出なので(衆道についてはわからない)」というセリフはビートたけし本人の内心のように感じられ、ただそれでも作中ではそれをネタとして消費しない姿勢はある種の誠実さを感じました。
さらに言うとその秀吉の視点も使って衆道が孕んでいる、この物語では首にも象徴されているホモソーシャル的な価値観を、同性愛を毀損せずにこき下ろしてみせているのは現代につくられた話だ…となるし、こういう話を70代になっても撮れるというのは凄いと思います。
映画『首』を観て思った事続き(bluesky投稿内容のほぼ再掲)
これに関しては歴史物を通して描きたい内容が伝わるかどうかという点と、改変部分含めてフィクションとして面白いかどうかが重要なのだろうなとは『首』を観て思いました。『首』は織田信長臣下の武将間の衆道とそれが内包されているホモソーシャルの世界に、武士だが農民出身でその価値観からは外れている秀吉の視点、そして侍大将になりたい農民の茂助や芸人等の武将以外の視点の話が組み合わさってちゃんと一つの物語として成り立っているのが強かったです。『ナポレオン』はナポレオンとジョゼフィーヌのロマンスと戦争の悲惨さ(ラストのテロップからの類推)がかみ合わず別々の話を観ているような気持ちにさせられたのが今ひとつに感じた理由の一つだったので。
ところで少し前にですが映画『首』を観てきました。その感想というか思った事(bluesky投稿内容のほぼ再掲)
北野武の描きたかった戦国物語をぶつけられて気圧されましたが歴史フィクションとして楽しめました。それと同時に歴史フィクションの描き方の差異、早い話が『首』は楽しめたのに『ナポレオン』は何故いまいちだったのかをずっと考えているところです。
『首』の秀吉はコミュニケーションの面弟の秀長に大きく依っていて、その兄弟でじゃれ合い()ながら場を切り抜けていく関係性(+黒田官兵衛を加えて三人で羽柴秀吉を成り立たせている)描写が好きだったのですが、これって一般的なイメージとは大きく異なりますよね。他にも不憫で純粋な面のある荒木村重とかかなり自由な解釈で人物を描いているにもかかわらずイメージ齟齬で話に集中できないという場面はなかったです。『ナポレオン』では大分ナポレオンにはないイメージの付与に文句を言っていたのにこの差は何なのだろうと。
以前受講していた講座『創作する人のための歴史叙述と歴史創作』がジェンダーをテーマにしたSeason 2が開催されると連絡が来たので今回も申し込みました🙌
で↓のイラストみたいな感じで板担いで監獄の正門から出て脱獄成功しました。なんだよこれ(なお加えていたパイプは途中で落として割った)
Twitterに投稿した↓のイラストにそんなコメントが付いたのが良すぎたので描いた。
(badinguet:ルイ=ナポレオンが二度目の蜂起で逮捕・投獄され、後にその監獄から脱獄した際に変装した石工の渾名から付けられたルイナポ=ナポ3の渾名というか蔑称)
QT: https://fedibird.com/@kow_a_ord/111742499831678336 [参照]
19世紀軍馬の馬装に基本的に含まれているのと、馬の胸部の構造というか立体感の把握が描いていても難しく感じられるので。
※仮運用中※ Twitterに投稿している作品をこちらにもアップロードしています
【歴史創作】19世紀フランス(ルイ=ナポレオン/ナポレオン3世周辺)をこねくり回すアカウント|イラストたまに漫画|馬が好き