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参鶏湯の人参を食べながら人参について調べ、いわゆるニンジンを人参と呼ぶのは日本だけというのを知った令和5年の夏。

本来の人参はいま日本で高麗人参と呼んでいるものでその二股に分かれたり枝がある様子が人に似ているから「人参」で朝鮮圏でも中華圏でも人参はこれを指し日本も同様だったけど、Carrotが移入された際に朝鮮圏では「唐根(他国から来た根菜)」と呼ばれ中華圏では「胡蘿蔔(外国から来た大根)・紅蘿蔔(赤い大根)」となったのが、何故か日本では「太い根っこだからこれも人参だわ」と「芹人参(セリ科で葉が似てるから?)」と呼ばれ、いつしか芹が取れ人参=今の人参となり、逆に本来の人参を区別するため(原産地の)朝鮮を冠して呼ぶようになった、と…(日本はこういうところ何故か雑なんだよね…)
※画像はWikipediaから借用

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参鶏湯、元は中華文化圏の薬膳料理なんだろうと思うけどあの華人をして「韓国に行けば参鶏湯を食べなければ」と言わしめるのは何でなんだろ…と思えば、日本で言う高麗人参が朝鮮半島とその周辺のみで自生し(日本でも自生域は無し)栽培も多年草で生育が遅いので手間がかかり気候面でも場所が限られるので、事実上「人参料理≒朝鮮半島名物」ということになるんですね…
(写真は今日食べたものではなくソウルの名店「土俗村」のもの)

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アプリがバグってて京仁線が急行だらけ電鉄になっとる()

それより何より、百年前は能古島ではなく「残島」だったのですねぇ…

のこのしま、残りの島だった、のか…

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福岡の街はいまの感覚だと天神辺りから西新辺りまでつながっているような印象ですが、昔は天神~大濠が福岡城の城下町で、ここと大濠を挟んで西側に八幡宮移転で出来た新市街「西新町」があり、その間が福岡港・伊崎港ベースの市街が拡大して融合した「3つの街の合成体」なんですねぇ…

そして西新は「にしじん/まち」ではなく「にし/しんまち」だったのですねぇ…(ちなみに西新/にしじん集落はもう少し南にあったそうな)

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昭和初期の福岡のまち、今の那の津通り辺りが「波打ち際」となる浜辺で、明治通り・電車道は福岡城の内堀・中堀ですね。まあこの辺りは聞いていたような内容なのですが、今の昭和通りが「福岡の呉服町・本町」としての商業軸、だったのですねぇ…。

そして西公園は「荒津崎」で、その根元の両脇に港がある典型的な「岬」だったのですねぇ…

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昨夜からの流れで昔の博多・福岡の地図を見てみたのだけど、昭和11年修正発行の地形図を見ていると博多部はともかく福岡は、今とぜんぜん違う「まちの姿」だったんですねぇ…

もし湾鉄全線買収で博多臨港線が湾鉄ベースで開業してたら、地下鉄2号線(貝塚線)は無くて湾鉄ベースで東区をカバーし博多港マリンメッセ福岡は臨港線でカバーでき3号線(七隈線)当初計画と合致するので、場合によっては天神北から南下する形の「国鉄規格の2号線(七隈線)」が、出来ていたのかも知れないですねぇ…

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博多臨港線を国鉄が自前敷設ではなく湾鉄活用としていたら、1954年に天神北経由で長浜まで入れることになる訳で、な~んとな~く、生き永らえていたりしないかなぁ国有化宮地岳線…(和白以北は厳しそうだけど)

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博多湾鉄道汽船、香椎線だけでなく宮地岳線も含めて国に「全線買収」されていたら、戦後はこんな姿ではなく73系の4連が30分に1本程度のっそりと走る路線になってたのでしょうかね…
QT: fedibird.com/@kotonoha_s/11082
[参照]

せき のりかず  
福岡と北九州市エリアを結ぶ私鉄構想、初期は宮地岳線の直方延伸構想で、その後色々あって筑豊電鉄の延伸や篠栗線篠栗トンネル共用など様々な構想(妄想)が飛び交って、消えていったんでしたっけね… ああ、湾鉄新博多に西鉄博多(予定地)よ…

福岡と北九州市エリアを結ぶ私鉄構想、初期は宮地岳線の直方延伸構想で、その後色々あって筑豊電鉄の延伸や篠栗線篠栗トンネル共用など様々な構想(妄想)が飛び交って、消えていったんでしたっけね…

ああ、湾鉄新博多に西鉄博多(予定地)よ…

姫路と言えば…な、えきそば@地上時代最末期。こんなカプセル店舗で、駅弁との合造売店でした。

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広島からの普通列車が、姫路に来ていた時代(岩国ゆきとかが走ってました)

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