津波のあと、訪れた現地。各戸の敷地の脇に色々なものが置かれていた。掘り出したものを一時的に置いているのかと思いきや「持ち主に届きますよう」との添え書き。 ああ、そうか…。津波で押し流され、引き波でまた流され、今ここで見つかるものは「ここにあったものではない『誰かの品』なのだ」と…。
発災4か月後の釜石・大船渡、1年後の仙台高砂/蒲生、2年目の夏の蒲生そして志津川を訪れ、現地を見て、揺れで崩れ、焼け、その場に「落ちる」状況の悲しさは阪神淡路の経験で知った気になっていたけど、押し「流され」て何もなくなる喪失感は、想像できていなかった…