古の平壌の街は、両班(朝鮮時代に於いて文官にも武官にもなれる名家・上流階級)が中心となっていた都市であり王宮の使用人や出入業者など多種多様(はっきり言えば下級階層)の市民が多くいる漢陽(今のソウル)より全般的にアッパーな存在だったそうで、なるほど近代化以降でも二階建て韓屋を「日本統治下における都市近代化」事業以降でも維持できるというか押し通せるだけの財力と地位のある人が多く住む都市だったのだな…というのがよく見えて、なるほどネットで見かけた韓国人が「(バラックや藁葺小屋だらけの漢陽より瓦屋根も多いし平壌の方が豊かだ」と評したのもむべなるかな、と…