大阪・淀屋橋のたもとに浮かぶ屋形船と水上小屋の「謎の店」、実訪レポートが上がってました。

大阪の人たちがずっと気になっているけど入れない水上の店「かき広」に行ってきた|デイリーポータルZ
dailyportalz.jp/kiji/Osaka-Kak

淀屋橋の「かき広」、屋号が示すように牡蠣の由来で、江戸期から昭和40年代くらいまであった「牡蠣船」という業態で、その昔は牡蠣産地の広島から船で瀬戸内沿岸や大坂まで往復して生牡蠣を売り、そのうち養殖の牡蠣筏ごと乗りつけたり調理場を備えてその場で食べさせたりしているうちに「牡蠣料理の船小屋」的な形で定着、明治以降の近代化で輸送形態が変わったりしながらも「船」での営業が続いていたものの、都市河川の環境変化や衛生管理もあり陸上の常設店への移行が進み事実上消滅した「牡蠣船」を今に残す、数少ないものであるのだとか。

この「かき広」、味については記事にもあるように一人で切り盛りする大将は調理人として腕を磨いてきた人ではなく、私が大阪勤務時代に聞いた評判でも「味はイマイチ以下」というものでしたが(そこら辺の小料理屋・カウンター割烹レベルの様子)、牡蠣船や川の歴史を感じながら「雰囲気を味わう」お店なのでしょうね。一度は、行っておきたいなぁ…

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江戸期から昭和高度成長の頃までの「瀬戸内独自の文化」だった牡蠣船、陸に上がって常設店として営業しているところもあり、その経緯の牡蠣料理メインの料理屋が兵庫県高砂市にもあったりします。
restaurant-kakikoh.com/
高砂の街は江戸期の北前船ルートにおける「大坂に至る前の最後の拠点港」として物資の集散だけでなく帆船の補修・美装(大坂へ綺麗な姿で入港して箔を付ける)でも賑わった街で、明治の開化後も近代産業の拠点として賑わったので牡蠣船も来訪していたようで、その流れで常設店として今も残るのが「かき幸」さん。ここの牡蠣料理はけっこう評判が良いようで、播州へお出での際は堀川の船溜まりや帆船補修の帆布販売で財を成した屋敷など見学がてら、牡蠣船由来の味を楽しんでみられては…

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