映画感想『Ghost Tropic』@シネコヤ 

映画館を出て外の風を浴びた瞬間、「すごい作品だったんだ」と遅れて思った。実を言うと、見始めのときは《4分33秒》のような映画かと思ったし、実際自分が普段意識しないものに意識を傾ける必要があり、だんだんと映画に五感を馴染ませていかなければならなかった。そして映画を見ているうちにそれは自然にできるようになっていった。そして映画館を出た瞬間に、道ゆく人の声、遠くの車の音、金属トレーのぶつかる音、紙袋の音、鳥の囀り、また自分の足音がスローモーションのような解像度で入ってくることに驚いた。またそれが、単に聞こえるのではなく、変な意味を持たず、曲解されず、自分の世界と乖離した形で響いてくる。見たら五感が変わる映画なんてある?たまげた。

re: 映画感想『Ghost Tropic』@シネコヤ 

でもたぶん、私は今(今というのはこの感覚を忘れないように殴り書きしている当時の今である)こんなふうに驚嘆しているけれども、普段から世界がこんな風に見えている人もいるのだ。
そしてそういう人の紡ぐ言葉は、そうでない人には、よく曲解されてしまうかもしれない、と思う。私のような世界の音がたくさん聞こえない人間はたまたまキャッチできた断片を大きく取っては的外れな意味をあてがったりするだろうし、実は世の中にありふれている様々な音が自分と交わらないところで繰り返されていることを日頃から自然に受け止めている人とそうでない人の違いは、きっと大きい。(と、ここまで書いて、はてこれこそ、普段鈍い人間の曲解ではないか、と思ったりもする。五感のバランスが変わるというのはそれくらい自分が揺らぐものなのだ。)

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re2: 映画感想『Ghost Tropic』@シネコヤ 

電車のホームで、隣の椅子に座ったおじいさんが控えめにナッツを食べる音をこんなに情緒豊かに、そして自然に聞くことはついぞなかった。
この体験は、主人公の女性が終電後の道を1人で歩いたように、次の目的地までの道のりをそれなりに長く1人で歩くと感じやすい気はするので、1人で映画館に見に行ってよかったと思った。家で1人で見て、そのまま家にいても、たぶんこの体験はなかったと思う。

re3(最後): 映画感想『Ghost Tropic』@シネコヤ 

主人公の老いた女性は、警戒もされないが、あまり世間から尊重されておらず、赤の他人からいくらかの親切を受ける。また、時に他者に対してかなり親切にするし、そういう時の彼女は真面目で、有無を言わせぬ気配を纏うことがある。
そういえば、取り残され気味に画面を見つめながら五感をチューニングしていた冒頭の頃に「同じ空間を見ていると過去の声が聞こえるのだ」と語られていた気がする。
時間に追われるとは、未来のことばかり気にするということだと思う。だから、彼女のこの特殊な習慣もまた、私たちの中で忘れられて久しいもののひとつだ。今を見ながら過去を見る彼女は、終電を逃して歩きながら、明日のつらい仕事の心配に支配されない。明日その時になればきっとひどくしんどい思いをするのだろうけれど、それは今の彼女のすることではない。こんな風に生きたいものだ、と思う。たとえ楽しい予定でも、先のことばかり考えて生きるのは虚しさもある。生きてない感じがする。虚しさを突きつけながら頭を撫でてくれるような映画だった。

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