なんでもかんでもBLにすんな論について(前置き)からの、恋愛感情の絶対王政に抗いたい話(本題) 

何でもかんでもBLにされるのやなんだよ、な人の中には、単に同性愛を嫌悪する差別的な人とともに、あらゆる感情をぜんぶ恋愛感情で上書きされるのにうんざりしてる人(恋愛至上主義がいやなだけで、他の感情や思想と概ね同列であるか、まあ恋愛感情の絶対王政が敷かれていなければいいよって感じの人)もいる気がするんだけど、どうなんだろうか
件のツイートの人はBLだけをあげていたけど、BLでも百合でも男女カプでもその他(便宜上こうしたまとめ方します、ごめん)でも、2人の熱くて強い関係の種明かしみたいに恋愛感情を使われるのはなんだかな〜と私も思うし

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恋愛感情の絶対王政に抗いたい話(本題)からのロマンティック男女夫婦な推しカプの解釈語り(おまけの顔をした真の本題) 

だからというか何というか、桂英さんと宗保さんは惜しげもなくロマンティックな男女の夫婦だけど、その強固な恋愛感情に思考が支配されているわけではないし、行動原理のすべてが恋愛軸に収束しているようにも見えないし、友愛や家族愛、性愛を伴わない高次のコミュニケーションも2人の間には存在しているように感じるので、なるべく恋愛至上主義の文脈に乗せて描かないようにしたいな〜という思いがある

恋愛感情を否定しているのではなく、恋愛感情を他の全てを押し流し覆い尽くす最強の本能のように描きたくはないというか、人間の感情の中でも恋愛感情は少し(向ける相手が非常に限られ、婚姻やセックスなど当人たちの尊厳やプライバシーに踏み込み合う行為や関係と関わりが深いという意味で)特別扱いされてもおかしくない甘美な色をもって見え、現状彼らにおいては互いにおいて他ない感情の一つである、くらいの感じで描いていきたいという気持ち 

でもまあ幹にも揺らぎはあるし、枝葉や花である作品には誇張や栄養不足もやむを得ず含まれてくるので、上の内容は「今の私は大まかにこんな感じです」な暫定&アバウトなものです

こういうニュアンスがデリケートな解釈語り、かなり悩み抜いて書いても、いざ読み返してみるとめちゃくちゃ違うってなる 言語化がうまくなりたい 過不足なく伝えるだけでなくそれを書いている背景(周辺テキスト、書き手の感情など)含め正しく伝わる文章というものを書けるようになりたい……

しばらく考えてみて、追加と補足 

恋愛感情一強にしないぞと躍起になるのは男女の夫婦ゆえなところもあるな 男女が一緒にいるとすぐ付き合っちゃえよ!みたいになるノリや、恋愛感情によって(特に女性キャラが)盲目的になり意思決定の所在が不安定になるのを可愛いとされるノリに抗ってる感じ

逆にマイノリティだと「2人は友達です」という外圧が強いことも多い(つくたべの2人にさえ「友達でいてほしい」って悪気なく言う読者がいるくらい……)から、そちらに抗いたくなるかも

私がここまで話してきたのは主に前者の話だけど、後者の話のほうがマイノリティへの差別感情も絡んでくるので深刻かもしれない なんでもBLにするのいやだな……になったとき、それが恋愛至上主義に食傷気味だからなのか、同性愛に無意識の差別感情があるからなのか、その両方なのか、省みて整理するといいのかもしれん、と思った

今日はここまで 難しいテーマだな…… 暫定でも答え出ないかも

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