残雪の楼園、主人公の霜のもとに詳細な事情はわからないけどおそらく生活のために街を出て行ったと思われる想い人が帰ってくる情景を描いた物語なんだけど、その物語を内包した建築の建造応援住民が桂英さんなの、胸がぎゅっとなる……
残雪の楼園では、お見合いが決まり「自由な冬もこれが最後かあ」と複雑な思いで1人湯円を頬張っている霜のもとに想い人が帰ってくるわけだけど、この湯円というアイテム、やっぱり冬至灯会のときに桂英さんが「これで宗保に会いに行けるかも」と期待に満ちて準備した湯円と重なるんですよね……
しかも、子供たちが遊んでいる雪玉みたいだ(その無邪気さを自分はもう捨てなければならないんだ)と決別の思いに耽る霜のもとには突然の喜びが舞い込み、この湯円が私を辺境に連れて行ってくれるんだとはしゃいでた桂英さんの元には無慈悲な出動要請が舞い込むという大きな対比がそこにはあって……
その上でこの物語の応援役が桂英さんなの、今回がだめでも自分たちもいつか会えるからっていう諦めない気持ちや、自分と似た立場の人が救われたことを素直に喜ぶ強さと優しさが感じられて、ほんとに……ほんとに好きです……って気持ちになるんですよ……
桂英さんはあんまり人のことを「いいなあ」って羨ましがったりしない人だと思うんだけど、それは決して今の自分の状況に満足している(=気持ちに余裕がある)からってわけではないんですよね、たぶん……
今自分が慢性的に辛い状況にあってもなおそう思える人なんですよ、桂英さんは そういうところが、本当に素敵だし尊敬するし、悲しいんですよ……