茨木のり子さんですよね
私もそれ心に残ってます
あと以下、当時今より時代的にゆるくて
自己責任論がこんなにはびこってなかったから
引き締まる思いで読んだ記憶があります
今の時代は、更なる縛り上げに見えてしまうかもね
それこそ「自己責任!」て他人に言う人は逆に気をつけて欲しい
この詩が「引き締まる思い」くらいにとらえられる
世の中であってほしいな
「自分で自分を」律するならたしかに
自分が頑張るよ、というわずかに光る尊厳かも知れません
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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
私キモオタ属性なので他もわりと覚えてんですけど
言うと歳がバレるやつですよね
とりあえずこれ貼っときます
https://pawoo.net/users/konchie/statuses/109776148908142500 [参照]
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
この前の教科書のやつでも
これよかったなあ、と思い出したやつが
ことごとく谷川俊太郎だったので
わたし谷川俊太郎が好きなんだとおもう
あと今「過ぎ去りし時」的なこと言わないで
(谷川俊太郎そんなこと言ってない)
なんかこれ深読みしそう
りんごって知恵の実でしょ
グロッタの南に何か光るものが
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神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
なんか昔教科書でこの詩読んだときと
最近はたらく細胞アニメのエンディング聴いたときと
同じ感想をいだいた記憶
昨日がくれた 今を未来へ
君らしいペースで届けてよ
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カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウィンクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
※詩の本来の意味のりんごです
詩の前に私が書いてる
不穏な深読みは無視でひとつw